前のブログで、デイヴィッドがイヤイヤながら行ってたロンドンで

知り合った日本系女子に酷い目に遭わされたことを書いたけれど、

デイヴィッドは、その子を追い出し彼女の荷物を全て送った後、

もう王立音楽大学に戻る気もなく、そのままユーロスターに乗って

アーヘンに帰ったのだった。

 

アーヘンに帰ると、デイヴィッドはジュリアードの入学申込み書類

を請求した。その書類はとんでもなく分厚い束だった。

パパは無関心だったがママは、デイヴィッドの密かな野望を

知っている側だった。

ママは元々はアメリカ人なので、もちろんその書類を読むことは

できたんだけどあんまりママの手を煩わせたくないと思った

デイヴィッドは、英語の先生の手を借りた。

でも、その中の3つのセクションだけは先生の手を借りなくでも

大丈夫だった。

 

第一希望の教師(   )

第二希望の教師(   )

第三希望の教師(   )

 

デイヴィッドは、3回同じ名前を書いた。

(イツァーク・パールマン)

(イツァーク・パールマン)

(イツァーク・パールマン)

 

↑🤣前、なんかのインタビューで言ってた。

ここまで書いたら学校側でも情熱が伝わるね。

 

デイヴィッドは、「彼でなければならなかった」

と書いている。

何年か前にデイヴィッドはベルリンでパールマンに会ったことが

あった。彼のために何かを弾いたことすらあり、彼の素晴らしさ

はそこでわかった。彼を崇拝するほどだった。

 

このように申込書を書いたはいいけれど、デイヴィッドには

ある問題があった。

それは、ジュリアードに入るためのオーディションに

行かなければならず、行ったらパパにばれてしまうこと。

 

そこでデイヴィッドは既知だったパールマンに電話をかけて

両親にばれてしまうので前もってのオーディションなしに

例外的に生徒にしてもらえないだろうか。前にあなたの前で

弾いたことがあるからどんな演奏かはご存知ですよね。

(この時は神童デイヴィッド・ギャレットとして名声が

あったから)と頼んでみた。

 

パールマンの答えは

「申し訳ないがそれはできない。

君はオーディションに来なければならない。

ルールを変えることはできない。」

だった。(きわめてフェアな態度です)

 

どうしたらいいか?とデイヴィッドは考えた。

するとといいアイディアがひらめいた。

兄のアレックスはすでにハーバード大の生徒としてボストンで

暮らしていた。

なので、「アレックスに会いたい。彼がどう暮らしているのか

チェックしてくるよ」と言ってアメリカ行きを決行すること。

そしてボストンからニューヨークに移動してオーディションを

受けること。

そうして両親に認めてもらい、その当時はまだ飛行機のチケットは

旅行代理店にとってもらうシステムだったので、ママと二人

代理店にいた。そしてチケットを受け取り、2001年の2月、

デイヴィッドはボストンに向かうためにブリュッセルの空港に

いたのだった。

(アーヘンからだとフランクフルトに行くよりも

ベルギーの方が近い)

 

いよいよアメリカに到着。

ボストンで、アレックスと3日ほど過ごしたのちデイヴィッドは

ニューヨークに向かう。

ニューヨークにどう行くかについては、アレックスがバスがいいって

言った。バスなら、一番安いし簡単だ。

 

オーディション当日、ボストンのハーバード近くの南駅から

マンハッタンのチャイナタウンのバスに乗ることにした。

デイヴィッドはヘッドフォンで音楽を聴いていると没頭しすぎて

よく降りる駅を間違えていたらしいので、アレックスに

最終駅で降りるんだぞとしつこく言われた。

幸運にもその場所はノンストップでチャイナタウンに行くバス

だったのでデイヴィッドは、間違えることなく

チャイナタウンで降りることができた。

 

ニューヨークに着くと雪が降ってた。

雪が降るとニューヨークの交通事情はめっちゃ悪くなって

車が連なって動かない状態が続く。

とても寒かった。

ヴァイオリンのチューニング、指のウォームアップのためには

オーディションの1時間前にはジュリアードに到着していたい。

渋滞を避けたいからといって、この雪の中30分も歩いていられない

と思ったデイヴィッドは、なんとかタクシーを拾って間に合った。

タクシーの中は暖房がとてもきいていたので手も温まった。

 

そしてジュリアードでのオーディション。

そこでは15人ほどのヴァイオリニストたちが待ってて、

バッハやシベリウスを弾いていた。

スピーカーでデイヴィッドの名前が呼ばれてステージに行く。

ステージにはピアニストがいた。

スポットライトが当たってて客席は全然見えない状態。

その暗闇から声がかかる。

 

「バルトークの2番のヴァイオリンコンチェルトが聴きたい」

ピアニストが最初の数小節を弾く。デイヴィッドの番。

弾き始める、しかし、1ページ目が終わる前に

「やめてください。どうもありがとう。

 ベートーヴェンのヴァイオリンコンチェルトをお願いします」

また同じようにページの半分で

「どうもありがとう。君はパガニーニも準備しているね。

 何番のカプリースを弾きたい?」

デイヴィッドは、パガニーニを弾く。

 そして「どうもありがとう。もう十分です。あとでお知らせします。」

 

デイヴィッドは、なんのアクションもなかったことに戸惑った。

批判も称賛もなし。

結果が出るまでの90分の間、デイヴィッドはロビーのカウチで

ニューヨークのビル、セキュリティスタッフなどを眺めながら

アメリカの1日を思いぼんやりしてた。

 

そして午後6:00。

「"recallシートが来たぞ!」

誰かが叫んだ。みんなシートにダッシュ。デイヴィッドもその一人。

8人の名前が貼り出されていて、デイヴィッドもその中の一人に

連なってた。

でも、デイヴィッドは「”recall”ってなにそれおいしいの?」状態だった。

そのころのデイヴィッドは、一般的な英会話はできたけれど、

語彙力は限られていたので、recallって全然大したことなかったので

もう一回弾かせられる人間?つまり追試なんか?って思ってしまった

んだけど、隣に立ってた女の子に聞いてみたら、

「これはグッドニュースよ。このリストに載っていない人は落ちたの。

 あなたは次に進めるリストに載っているのよ。」

と教えてくれた。

 

デイヴィッドは最終試験に臨める8人に残った。

そしてその日の夜にトップが決まる。

もう一度チャイコフスキーを弾いた。

「どうもありがとう。結果を知らせるレターを送るよ。どこに

送ったらいいの?」と聞かれた。

 

やがてアーヘンに手紙が届き、

「おめでとう!君は合格だよ。

 イツァーク・パールマンが君の教師になります」

と書いてあった。

 

が、ここからデイヴィッドはパパと争うことになるのであった。