デイヴィッドの自叙伝の続き。

 

前回はアイザック・スターンの話だったが、今回は

メニューインとの話。

 

「ヤッシャ・ハイフェッツと同様に、ユーディ・メニューインは20世紀の

 ずば抜けて優秀な神童だった。

 パパの車にはメニューインのCDが置いてあったので、

 車で長い移動がある時などは、いつもメニューインを聴いていた。

 特に、フルトヴェングラーとメニューインのコンビネーションは

 他を寄せ付けないほど、今日に至るまで好きだ。

 ウィルヘルム・フルトヴェングラーの指揮で演奏される

 メニューインのブラームスのヴァイオリンコンチェルトは今でも

 聴いている。メニューインのヴァイオリンが奏でる音は

 別世界のものだ。」とデイヴィッドは書いている。

 

1992年に、メニューインはアーヘンにヴァイオリニストとしてではなく

指揮者としてやってきた。

だけど、デイヴィッドのパパはなんとかうまくやって、メニューインが

宿泊しているクエレンホフホテルのメニューインの部屋を訪れることが

できた。

 

↓それがこのホテル。

この素晴らしい外観をご覧ください。

 

 


この時はまもなくコンサートが始まる時で、メニューインは

自分自身のメンタルを整えなければならなかっただろうに、

全くもって冷静で、デイヴィッドに演奏させたのだと言う。

 

その時の話で面白かったんだが、

メニューインの部屋に入ると目にまっすぐ飛び込んできたのが、

テーブルに盛られたカットパイナップルだった。

パパはメニューインの大ファンだし、普段から息子のデイヴィッド

の健康や怪我にものすごく気を遣っていた。

だから、この偉大なヴァイオリニストが食べているんだから、

我が息子にもパイナップルを食べさせていたら、素晴らしい

成長ができるんじゃないかと思ったらしい。😆

パパはそのパイナップルのジンクスを信じて、それ以来ボンガルツ家には

デイヴィッドのためにパイナップルがめっちゃ置かれてたらしい。

🤣🤣🤣

 

それはちょっとした逸話だけれど、本当に大事なのはそこじゃなくて

1996年に、メニューインがベルリンのデイヴィッドのマネジメント

にコンタクトを取ってきた。

メニューインの指揮で、エルガーのヴァイオリンコンチェルトを

ウィーンのWiener Musikverein concert hallで弾かないかというもの。

 

そう、あの有名なウィーン楽友協会。↓ゴールデンホール

 

 

 

メニューインは、エルガーのヴァイオリンコンチェルトとは特別な

つながりがある。

1932年、16歳の少年メニューインがソロイスト、そして

エルガー自身が指揮として自身のこのコンチェルトを演奏したんだそうだ。

65年経って、80歳近いメニューインがエルガーの役割で

16歳の少年デイヴィッド・ギャレットがソロイストとして演奏することは

とても光栄だった。

 

さあそして、いよいよウィーンでのコンサート当日。

メニューインは午後にオーケストラとデイヴィッドのリハーサルを予定して

たんだけど、その前にオーケストラが演奏することになってる

シンフォニーの第一楽章がうまくいかなくて、リハーサルが長引く長引く。

全然終わらない状態。

 

デイヴィッドがリハーサルをできる時間が50分しかなくなった。

それでも終わらず、40分→25分と残り時間がどんどん少なくなる。

結局デイヴィッドができたリハーサルは何分だったのか?

答え:10分。

その10分で一番難しいセクションだけ合わせた。

 

結果的にどうなったのか。

ちょっとは合わないところも出たけど、次の日の評価は肯定的だった。

デイヴィッドは焦りはしたんだけど、こう思った。

「メニューインが心配してないんだから、心配する必要ないんだよ」

 

なぜ、メニューインはこんなに落ち着いていたのか。

実は、メニューインもエルガーに会った時、同じことがあったから。

メニューインは、エルガーの自宅に会いに行った。

そしてヴァイオリンを出して弾いたんだが、数小節弾くや否や

エルガーは

”ファンタスティック!じゃーレコーディングスタジオで

会おう!僕、競馬に行くんだよね”って出てっちゃったんだって🤣

 

そしてメニューインはリハーサルなしで当日弾いたんだって。

自分が大丈夫だったんだから、デイヴィッドも大丈夫っしょ。

って感じだったらしい。 

あー面白い。

 

メニューインは、毎年ものすごい数のコンサートをこなしていた

だけではなく、第二次世界大戦中には軍や軍病院に慰問に行って

弾き、戦後は強制収容所の生存者のために演奏した。

素晴らしすぎる、メニューイン。

 

そして、腕がコントロールできなくなって昔のように弾けなくなると

指揮に転じた。

デイヴィッド曰く

「メニューインはヒューマニストで慈善家で人生を愛した。」

 

メニューインは本当に素晴らしい人だったのだなと言うことが

わかるチャプターだったな。

 

ところで、デイヴィッドが言ってたフルトヴェングラーと

メニューインのブラームス。

いや、ほんとに神!素晴らしい。↓ぜひ聴いてみて。

次元が違うっていうのわかるわ。

 

 

デイヴィッドのブラームスのカデンツァはメニューインと

同じだったんだね。