デイヴィッドの自叙伝の続き。

 

デイヴィッドは、イダ・ヘンデルに師事していたわけだけれど、

また新たな大物が、デイヴィッドの人生に登場する。

 

アイザック・スターンである。

デイヴィッドとパパは、オックスフォードでのスターンの

リサイタルに出かけた。

その時、スターンが弾いたのは、ベルギー生まれのフランスの

作曲家セザール・フランクのヴァイオリンソナタ。

デイヴィッドはスターンのパフォーマンスに始めから終わりまでの

間、ずっと鳥肌ものだったという。

パパも同じで、パパはすぐにスターンにコンタクトをとった。

そして、スターンに会うためにスイスに出かけたのだった。

 

スターンが宿泊している、スイスの伝統的スタイルのホテルの

彼の部屋で邂逅した。

スターンは風格のあるアームチェアに座っててサングラスをかけ

ぶっとい葉巻をくわえてて、まるで映画の中のマーロン・ブランド

よろしくゴッドファーザーのようだった。

驚いたデイヴィッドだったがスターンの口が開いてこう言った。

 

「デイヴィッド、君が断れない提案をしよう」

 

実際には彼はしなかったんだけれど、自分が超然と見える術

を知っているようだった。

そして、デイヴィッドはスターンの前で、ラロのスペイン交響曲の

第一楽章を弾いた。

すると、スターンは

「ありがとう、君はとても才能があるね。

 だけど、残念ながらリハーサルが始まるから行かなければならない」

と言った。

 

スターンはその時は特に何も言わなかったけれど、

デイヴィッドは思った。

これは翻訳すると、”僕たちは今後再び会うことはないね”

 

だけど事実はスターンは後でパパとやりとりして、

時間を作ってデイヴィッドに全楽章を弾かせて

素晴らしく称賛したのだった。

スターンとはいつもドイツ以外のところでレッスンをした。

スターンがドイツに入るのを拒絶したからだった。

(アイザック・スターンはユダヤ人)

 

だから、デイヴィッドはスターンに時間ができるとすぐに

スターンがいるところまで行かなければならなかった。

スターンのマナーは過去の先生たちとは全く違っていたので

気を引き締めなければならなかった。

 

今までの先生はみんなフレンドリーに接してくれてたけど

スターンは全然違っててかしこまる感じだったよう。

そして言葉も少なくて、褒めることもない。

デイヴィッドは、スターンが何が好きなのか全然わからず、

全力を尽くして、今回は絶対的に素晴らしかったと思っても

スターンの顔には全然熱意が感じられなかった。

 

だけど、スターンは気に入らないことがあるとはっきりと

した言葉で不満を表すのが得意だった。

 

そんなふうに、デイヴィッドはスターンのレッスンに

困惑しきりだったんだけど、わかったことがあったよう。

頂点への道のりがいかに長く険しいのか、

そして究極のゴールがいかに遠いのか、

スターンがこの域に達するまで何を要したのかも感じた。

 

一般的な教師は、”この指を使って、弓はこう置いて、

もっと情熱的に” とか言うだろうけど、

偉大なミュージシャンが与えてくれる素晴らしいレッスン

というのはそういうことではない。

 

自分の頭を使う習慣だ。

 

実際に、スターンはいつもデイヴィッドの額を人差し指で

つついてウッドペッカーみたいになっているデイヴィッドに

”考えろ””考えろ。考えろ”とだけ言ったそうだ。

(これはイタリアでのブックフェアのインタビューで

言ってたね)

素晴らしいヴァイオリニストは彼ら自身の独自の、

アイデンティティを持った音がある。

それはなぜこの演奏なのかを考えているからだと

デイヴィッドは書いている。

 

スターンは、デイヴィッドにとってなかなかわかりにくい

先生だったけれど、結局、デイヴィッドがドイツから

ニューヨークに移る重要な背中押しとなった。

 

何回かこのブログで書いているんだが、

デイヴィッドのLegacyのDVDにアイザック・スターンの

インタビューが収録されていて、デイヴィッドは見込み

があったので厳しくした。そうでない人には適当に

優しく接したと言っていた。

 

デイヴィッドはアイザック・スターンに出会わなければ

クロスオーヴァーをやる道にも行かなかったんだろうな。

 

この後、デイヴィッドにかかわってくる偉大な

ヴァイオリニストのユーディ・メニューインが出てくる

んだが、スターンとメニューインは完全に対極だったそう。

メニューインは明るくて陽気で、スターン同様ユダヤ人

なのだが、第二次世界大戦後にフルトヴェングラーの招待

を受けてドイツでコンサートをしたたった一人の

ユダヤ人ヴァイオリニストだった。

一方、スターンは決して戦時中にドイツが行った行為を

許さず、ドイツに足を踏み入れることはなかった。

 

デイヴィッドはこう書いている。

「この二律背反にもかかわらず、両者とも

 ドイツ人のデイヴィッド・ギャレットを指導下に

 置いた。」

 

深い話だったわ。
 
次はブログではメニューインの話を。
 
ところで、デイヴィッドが感動した、
アイザック・スターンのフランク。
本当に鳥肌ものです。ぜひ聴いてみて。↓