イギリスのヴァイオリン雑誌The Stradに
デイヴィッドがグァルネリを競り落とした時の自筆記事が載ってた。
デイヴィッド・ギャレット
「僕のグァルネリ・デル・ジェスを手に入れるまでの道のり」
「グァルネリ・デル・ジェスを保有して、それで演奏することは
僕の子供の頃からの夢だった。
このような稀少なヴァイオリンで音楽を奏でることは、
ヴァイオリニストにとって最高の特権であり名誉だ。
ほぼ全ての偉大なヴァイオリニストたち、そして僕の個人的な
ヒーローたちはグァルネリ・デル・ジェスで演奏していた。
パガニーニからはじまって、ハイフェッツ、クライスラー、
そしてツッカーマンまで。
皆さんの多くが知っているように、アントニオ・ストラディヴァリと
比べてグァルネリの楽器はものすごく少ない。
ストラディヴァリウスが1200以上出回っている一方で、
デル・ジェスのヴァイオリンは200を下回る。
価格はいつも高く、しかしここ20年のうちにそれらは爆発的に上昇した。
2000年の初頭の頃は150万ユーロから250万ユーロ(今の円安換算だと
2億から3億5000万ぐらい)で買えたのに、価格は急騰し、
もしか運が良ければ1200万ユーロ(17億ぐらい)からのスタートだ。
しかも、それはグァルネリの最上級ですらない。
最もベストなものは1800万ユーロ(26億)から始まり、天井知らずだ。
信じて欲しいんだけど、僕は市場を深くリサーチしたし、
世界中の全ての有名なヴァイオリンディーラーを旅した。
ニューヨーク、ロンドン、東京、その他の都市の。
(↑えっ?東京にも?いつ来たんだろう。コロナ前か)
買えるものはどんなものでも、あえて見た。
そしていくつかの素晴らしい楽器を見たんだけれど、価格は残念なことに
もっと高かった。
本当に、何年も前に黄金期である1716年の素晴らしいストラディヴァリを
購入することができたほど、僕の人生はとても幸運だ。
さらに1726年頃の初期のグァルネリ・デル・ジェスにも投資した。
しかしそれでも1730年代前半から1740年代にかけての
力強く素晴らしい、後期デル・ジェスには到底及ばない。
しかし、半年ほど前、ピーター・ビダルフからグァルネリ・デル・ジェスが
オークションに出るという話を聞いたのだ。
そう、オークションでは小売価格はつかないと言うのは本当だ。
だからもちろん興味はあったし、いつどこで行われるのか知りたかった。
サザビーズでもクリスティーズでもタリシオでもプロンプトンでも
スキナーでもヴィシーでもなく、パリの別のオークションハウスで出品
されるということでちょっと不思議な気がした。
でも”どうしてそれらのオークションハウスじゃないんだろう”と考えた。
この特別なグァルネリ・デル・ジェスのことは、以前から聞いていた。
1736年頃のレギス・パスキエ所有のものだ。
その1年前くらいにパリで売りに出されて僕にオファーがあったんだ。
その時は見れなかったので、今回は、ガールフレンドと母と一緒に
パリを観光するのも楽しい冒険だと思った。
数日後、みんなでパリに飛んだ。
オークション会場ではヴァイオリンに付属の弓もショルダーレストも
なく、ヴァイオリンケースも持ってなかったので、チェロの弓で
試すのを勧められた。幸先の悪いスタートだ。
数日前に左手小指を痛めていたにも関わらず(←あの時ね)
デル・ジェスで演奏することができた。
音の出方や音質にとても満足した。
ニスがほとんど残っていないことは既に気づいていた。
しかし正直になると、その代わりに何があったのか?
理論的に言えばグァルネリを長期貸与してもらえるチャンスは
宝くじにあたるのと同じぐらいのものだ。
400万から450万ユーロという見積は僕の胸を高鳴らせた。
(5.8億から6.5億)
それは自分が納得できる契約なのだろうか。大きな決断だった。
数週間が経ち、僕は仕事に追われるようになった。
しかし、頭の中にあったのはあの鮮明なデル・ジェスの音だけだった。
そこで、オークション当日に自分の直感を信じて、ちょっとクレイジーな
ことをやってみようと思った。
友人にも親にも内緒で電話で入札することに決めた。
その時泊まっていたホテルの部屋は電波が悪かったので、
一番静かな裏庭、駐車場の裏、ホテルの巨大なゴミ箱の横に出た。
グァルネリ・デル・ジェスを競り落とすにはなんという場所なんだろう。」
まだ続くので、残りは次のブログで。
すぐアップします〜。
(最近バタついてて更新ご無沙汰してます〜。
すみませんんんん)