個性。
そのままを受け入れること。
あるがまま。
そうだけれど、そのままでは成長はないというのも実感している。
私の経験が全てではないけれど。
私もきっと育てづらかったり、育てやすかったり
色々な側面を持って育成されたのだと思う。
親になってみないと分からない。
そういう言葉の実感はいつまでも続く。
妊娠したときのピンと来なかったこと。
出産したときの獣のような野生な自分。
産後の赤ちゃんが我が子と認識出来るまでのタイムラグ。
誰しもが、同じように感動して、感激して、可愛がり慈しむものではないという感覚も、どこかに備わっていた。
だからこそ、後天的なのか分からないけれど、育児を通じて私は色々なことに気付く。
様々な学びを得て、刺激を感じ、我が子と向き合いながら、自分の内面に向き合う。
この子の感性はどこに?
誰しもが同じところで、同様の感銘を受けるものではないということ。
ただ、違うということを認識するだけで人はもっと生きやすくなること。
自分には幾重ものフィルターが掛かっているということ。
息子を育てながら。
娘と関わりながら。
夫の性格を認めながら。
生育歴。
この子達は、私と夫との間で育つ。
そこから、社会があり親戚があり集団がある。
もちろん、個の向き合い方も。
悩みのないことが素晴らしいことではないと思う。
悩み、考えながら、どうすればいいのかを常に考え、前に進むことではないだろうか。
前に進むだけが、良しとするものでもなく。
もののあはれ をかみしめながら。
カオリコ