・子どもが居る時に家事をする。
・ママがキッチンでお料理をすることも。
・洗濯物を畳んでいる姿も。
・お裁縫をしている姿も。
・新聞を読む姿も。
・靴を揃えること、新聞を束ねるところ、本を読むことを。
そこにママの気配を感じていて欲しくて。
さらりと声を掛けられるように。
そして、食卓で意識していることは・・。
・全員がちゃんと席についてから「いただきます」をすること。
・会話をすること。
・スマホをいじらないこと。
・ゲームをしないこと。
・テレビを付けないこと。
・今日、ママはこんなことをしたんだよ。と話すこと。
・一人一人に話を振ること。
・リアクションをすること。
・お料理が美味しくてもマズくても、好きでも嫌いでも必ず一口は食べること。
・「ご馳走さま」をいうこと。
・自分の食器を下げること。
多分、当たり前のこと。
ホントは、パパが居る時は、パパが箸をつけるまで食べないっていうことも教えおきたいんだけど。
それは、もうちょっと先かな。
いつも出来なくても、知っているか知らないかで、違うものだから。
ただ、愛される子になって欲しいなと思う。
完ぺきさなんて、そもそも誰が評価するのだろうか。
完ぺきの基準はどこなのだろう。
誰が決めた完ぺきさなのだ?
毎日が誰かと戦っての完ぺきであるのか。
完ぺきでないと、ダメなのか?
家庭は安らぎの場であり、基地であり、自分らしく居られる場所であって欲しい。
母はそれを受け取り、感じ、守り、包み、支え、苦言だって呈す。
愛の下に。
「完ぺきじゃないけどね。」
という言葉を使うことは、欠けている自分を受け入れていないから。
欠けていることを認められないウチは、苦しいだけだ。
欠けている自分も丸ごと信じ、愛し、自分だと受け止めること。
それは、決して諦めではなく、それが自分であるという承認。
欠けた部分は、個性であり、秀でている部分と対局にありながらもその人を形成している。
もっと自由になればいいのに。
自分から。
最終評価は自分がすること。
自分の人生も自分が決めること。
決めて覚悟をすること。
完ぺきを求めると、苦しくなる。
そして、意味のない追求は他者をも苦しめる。
意味もなく。
お互いを尊重出来る世界になったらいいのに。
そういう思いで、bloomism (開花主義)を掲げているのだ。
魅話力®
前田カオリコ
