給与の手紙 | 「幸せの花を咲かせるBlog」ブルームダイニングサービス創業者 加藤弘康

「幸せの花を咲かせるBlog」ブルームダイニングサービス創業者 加藤弘康

経営観、人財育成、仕事とは?、人はどうあるべきか?、日々の気付きなどなど、経営の第一線で戦う社長の独り言。
主に社員さんへ語りかけています。
リアルを出来る限り赤裸々に。
真っ直ぐな僕の想いに触れてください!

Bloomの大好きな仲間達へ

5月の1ヶ月間も本当にお疲れ様でした!

みんなの頑張りのお陰で小田井店●●名様、春日井店●●名様、花ちゃ本店●●名様、花ちゃ楠店●●名様、合計●●名様にご来店頂きました~!

6月の梅雨にも負けず一人ひとりのお客様に楽しんでいってもらいましょう♪


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『創業ヒストリー』


 僕が飲食店の独立を志したのは21歳の時です。部長の杉さんとは同級生で、18歳の時地元のバーで飲んでいる時に夢を語った事が僕の飲食店独立の夢の第一歩です。(完全に未成年の飲酒ですが・・・苦笑)


専門学校を卒業し(頭が悪くて大学には行けませんでした・・・)、就職活動を通じ入社させて頂いた会社で営業をしておりましたが、これから先の人生のレールが引かれている様な気がして、それが嫌になり1年半で退社しました。(今思えばとても生意気な若者だったと思います。)

一度きりの人生をこのまま終わらせたくない!自分自身を活かせる仕事をしたい!仕事を通じて自分自身をもっともっと成長させたい!という想いもあり、僕の飲食業の道がスタートしました。


当時は地元の若者が集まるアメリカンバーを開業する事が夢でしたので、バーテンダーからの始まりでした。

どうせやるなら中途半端な気持ちではいけないと思い、とてつもなく厳しいお店で修業させて頂く事になりました。

バーテンになる前にサービスを覚えろと言う事で、ホールからスタートしたのですが、接客もろくに出来ない、お客様の前では緊張しすぎて震えてしまう様なダメダメ人間でした。失敗する度に怒鳴られ、ヒドイ時には生ゴミに顔を突っ込まされたり、ガス銃で意味も無く打たれたり、殴られたり蹴られたりしてました。毎日そのお店に行けば行く程、アザは増えるが、自信は減る一方。何度も何度も悔しくて泣いたし、俺には飲食店は向いてないかもって言い訳を探して夢を諦めようとしたこともありました。でも諦めなかったのはほんの少しだけ辛い事よりも先の未来へのワクワク感の方が勝っていたからなのだと思います。

そんな日々を続けていたある日、夢に見たバーテンの仕事を任せて頂ける様になりました。ホールの仕事を始めてから7か月経った時の事でした。普段から厳しく接する店長がようやく僕を認めてくれたのがメチャクチャ嬉しかった。その時の喜びは今でも鮮明に覚えています。

バーテンになる事がもともとの夢でしたので、仕事以外の時間でカクテルのレシピやシェイカーの振り方などは覚えていました。お客様とまともに会話をする事ができなかった僕もカウンター越しで会話をしたり、お客様の名前や好みを覚える余裕も生まれてきました。毎日僕に怒鳴ってばかりだった店長も笑顔で話しかけてくれるようになりました。お客様の数も徐々に増えていき、辛かった毎日が嘘のように目の前の景色が変わりました。

(この時、僕は諦めない事の大切さや、夢を持つ大切さを学べたのだと思います。あの時諦めていたら、今の景色は見られなかったのかも知れない。もしあの時、店長を恨み逆ギレをしていたら今の自分のこの感覚は得られなかったのかも知れない。そう思うと僕に厳しく接してくれた店長に感謝の気持ちが沢山沢山溢れ出てきました。)

人は解釈の仕方でプラスにもマイナスにもなる。物事の受け止め方で人生はガラッと変わるんだなーと学んだのは22歳の時でした。(その当時はフリーターでしたが、昼間はガソリンスタンドを掛け持ちしていました。週6日、117時間労働)次月の給与の手紙に続く・・・・