こんにちは。
Sシャルです。
今回は、YAMAHAのUX96という、USB-MIDI INTERFACE の製品が、Windows11のメモリの整合性ONの状態では、使用できなくなりました。
これによって、MIDI入力によって、制作する過程に支障が起きてしまい、ドライバの認証ができる機器の購入まで、少し間が空きそうです。
そこで、私の職歴の概要について、少し詳しく紹介したいと思います。
2001年 サッシの施工と加工の、アルバイトでの助手から、正規に登用されましたが、会社は閉鎖。
(普通自動車第一種免許(MT) 2001年5月取得)
(サッシの組み立てや、網戸の張替えの技術、建設現場でのサッシ枠の施工に係る段取りや、施工技術を見習い、実務を行なった。とても、体や技能を使った。夏は暑い、冬は、手がかじかむ。)
2003年 製造分野への転職を果たして、地元のとある製造ラインの請負や派遣の立場で、3交代勤務5年間を終了。(2008年)
※勤務期間中、計画的に自主学習して、以下を受験、当日合格判定。
(Microsoft Office Specialist Exel 2003 Expert 2008年3月 合格)
(Microsoft Office Specialist Word 2003 Expert 2008年6月 合格)
2009年 日本の文化的職業、郵便配達の冬季間1月から3月の仕事をしました。その直後、4月からの期間雇用に登用されて、郵便法に基づく、規則的に厳しい中、原動付き自転車で、累計4年半、途中、転職理由に、自主退職しましたが、再入社を、繰り返し、軽4輪車両の配達を含めて夜間の内外務6か月、勤めた。(累計満5年の実務)
(冬も雪上をバイクで配達。手はかじかみ、体は凍える。路肩の仕事同等、雨風雪に耐える仕事。)
2016年6月から9月、DIHSによる、全身薬疹の治療で入院や自宅療養を余儀なくされる。
2017年 病後の体の状態を鑑みて、地元で、盛んなスーパーマーケットの早朝から最長昼頃までの、短時間パートで、商品の品出しをしていた。(朝は5時から。最大12時頃まで。)
2020年 スーパーマーケット内の清掃の人の仕事を見かけながら、求人の告知を受けて、清掃員として、正規での就職。ビルクリーニングという分野を学びながら、清掃技術の取得をしながら、勤めた。
(・職長・安全衛生責任者教育 修了 2022年5月)
(・ビルクリーニング技能士試験3級、学科一部合格)
(・テールゲートリフターの操作に係る特別教育修了 2023年10月)
2023年 清掃の仕事は、3年3か月で終了。正式に3回に渡る面談を申し込み、転職による事由が、了承され、12月31日に、自主退職。
(・2020年から4年以上、地元勢の総力を挙げての、圧力的な、私と他の異性関係の噂がメインとなり、やがて、プライバシーの侵害、社会的かつ世間的な人間関係における嫌な噂が、社内外に及んだ。
その数年後、ついに、それが引き金になり、社内外の誰も居ないような場面で、罵倒されるという数件のトラブルに巻かれることになった。
この、地元世間の人権的な問題の事実は、社内外共に、暗黙の了解にされてしまい、問題が隠蔽される方向へと続いた(現在でも囁かれる)。
そこで、最大限のプライバシーの侵害を避けるために、管轄労働監督基準署内に設置されていた無料相談へ行き、社内の労働環境の人為的問題や、退職への切望を行なった。
しかし、後日、社内で、誰かが労働監督基準署に行ったことが囁かれ、社内の上部が激怒する様子を、真近くで、見てしまう。
社内では、一方的かつ非協力関係が浮き立っていき、私は独りサービス残業で、補填業務が重なった。そのストレスなどの過重により、この仕事をしていても意味の無い人間であるという孤立感とともに、心身症様の軽症を負いながら退職したのは事実の内で、これについても、暗黙としてやり過ごすこととなった。)
2025年現在に至るまで、様々な資格と、技能の取得に取り組んだ。
・運行管理者(貨物)基礎講習会へ参加、修了2024年1月11日
・フォークリフト技能講習(安全講習)修了2024年2月1日
・運行管理者(貨物)試験に受験 2024年3月6日
・®メンタルヘルス・マネジメント(セルフケアコース)検定試験に受験 2024年3月17日
・®メンタルヘルス・マネジメント(セルフケアコース)検定試験に合格・合格証の取得 2024年4月
・運行管理者(貨物)試験に合格・資格者証の交付を受ける 2024年4月
・®メンタルヘルス・マネジメント(ラインケアコース)検定試験に受験 2025年3月16日
・®メンタルヘルス・マネジメント(ラインケアコース)検定試験に合格・合格証の取得 2025年4月
この直近の退職後、前職の上司からの無用な電話を拒否して、試験に集中していた。
しかし、試験日の迫る時期である、2024年2月17日、自宅に、会社に残した不要の忘れ物が、無言の状態で、届け物として置かれていたことと、上司が、勝手に私の同意無く、会社に残された住所を使用し、自宅にやってきたのだと悟ると、恐怖、そして、怒りを覚えた。
(元上司による、住居侵入罪に触れる案件と、会社による個人情報保護法違反に触れる案件であった。この不穏な対応なども暗黙とされ、会社の謝罪は無いし、私は求めない。しかし、思い出すたびに、その怒りが、生活に障害となって、1年と8か月が過ぎた。せめて、事実を把握して、本社からの謝罪文だけでも送ってもらいたかった。)
このような、様々な経験から、仕事というのは、どれも、細かくて、忍耐が必要である。という、客観性を持つようになるまでは、時間のかかることで、深い思慮の繰り返しの毎日でした。
音楽の制作も、とても、緻密にミックスを仕掛けなければ、良いものは出来ない。
つまり、楽曲制作は、楽しそうでも、実際は、とても細かくて、忍耐力が必要なのである。
これまでの、3曲からなる、リリース楽曲の制作や、画像作成、プロモーション活動は、それに費やした時間に対して、収入が無いのに、2か月間、毎日休みなく行った結果である。
これも、立派な福祉厚生や、社会への奉仕である事として見直せるほどの活動であり、個人や世間が、音楽業界に対する信頼性を、高める取り組みであると、実感しています。
社会的な役割というのは、誰にとっても、公平な権利であり、人権的な尊厳と、自尊心(アイデンティティ)がある。
それは、国境も関係なく、世界共通の人権擁護に、つながっていくと思っています。
(この意味も込めて、Sシャルは、音響的ニュータイプ・プロトコルとなるアーティストとして、平和性を謳っています。)
わたしの、25年程の社会人生活とは、私の個性と社会との関係に、最大限に活かせるものを求めた挑戦や、旅でもあった。
プライバシーの侵害が繰り返す、地元勢のささやきに対しては、アーティスト活動の側面を切って、世間的に前面にあえて出て、徐々に、自らの取り組みを明かしていく事、これは、数年もの囁かれるストレスに対する、心理的なセルフケアをしていることに変わりはありませんし、唯一の対処方法を取っています。
このような視点を振り返ると、Sシャルとしての音楽活動を、この後の25年程の社会人としての生活に迎えていくことによって、私なりの、社会への誠実な関わり方であると展望し、見定めることが出来たのです。