司馬遼太郎の直木賞受賞作「梟の城」を読んだ。
最初の数十頁を読んだところで、思わず文庫本を放り投げてしまおうか?とも思った。
あまりにも面白くなく、むしろ字面を追っているだけの退屈さに我慢がならなかったからだ。
だが、僕は学習していた。
ドストエフスキーの「罪と罰」や「カラマーゾフの兄弟」だって、最初の部分はおそろしくつまらなかったではないか、と。
その2作品だって読み進んでいくうちに、次第に面白くなってきたのだからと思い直し(そういう観念があったのはラッキーだった)、僕は更に頁を繰ってゆく。
そのうちに、小萩という女と木さるという女が物語の中に登場してくると、俄然面白くなってきた。
小萩は甲賀(敵方)の、木さるは伊賀のくノ一(女忍者)だ。
〈女〉という字を書き順に従って分解すると、く、ノ、一 となる。
木さるは、伊賀の忍者を束ねる棟梁の一人娘だ。
その弟子の中に、重蔵と五平という二人の男がいた(この物語の主人公だ)。
重蔵は宮本武蔵のような男。ストイックに伊賀の教えを守る忍者。
一方の五平は佐々木小次郎型の男前の色男。
出世のためには、衰退している伊賀を裏切り、仕官をし、ろく(お金)を増やそうとする世渡りの上手い忍者だ。
木さるは少女の頃より重蔵に想いを寄せていたが、父親の命により許嫁とされたのは五平の方だった。
〈中略〉
話が長くなるので、この後の展開は控えるが(小説を読んで下さい)、僕がこの作品を読んで率直に思ったことは、
司馬遼太郎の女性描写の上手さに感嘆の声をあげてしまったことだ。
氏の小説の中で描かれるのは、あくまでも男であることが多い。
長編小説のほぼ全作品が男性が主人公であり、女性はほとんどの場合、ほんのちょっとしか描かれてはいない。
それでもそのちょっとのシーンの中で、女が実に生き生きと描写されていることに、僕はいつも驚いていた。
女性描写では定評のある渡辺淳一を凌ぐ、と僕は思うのだ。
司馬遼太郎は歴史小説家として名高いが、そればかりではないぞ!!と僕は云いたい。
それにしても、五平に裏切られ、敵陣の中に棄てるように放り投げられてしまった木さる。
その時に、手首から先を斬り落とされてしまう。
その後、命からがら伊賀の里に戻り、どうなったのだろう?
もはや、女忍者(くノ一)としては生きられない。
許嫁の男には棄てられた。父親も敵方の刃に伏した。
何とも切ない!!
小説の中には、木さるのその後は描かれてはいない。
小萩は重蔵とハッピーエンドに結ばれるのだが.....。
しかし、こんな風に一人の人物をうっちゃっておくというのも、氏の小説のいいところ。
懇切丁寧に描写されていないからこそ、僕らはどうしても不憫な木さるのことに想いを寄せるしかなくなってくる。
ps
いろんな問題やら課題を解決しようと思ったら、
夜寝る前に、そのことについて深く考えるといい。
そして、深く眠る。
そうすると翌朝、潜在意識からの閃きが必ずあるものだ。
僕はいつもそうやって問題やら課題に立ち向かっている。
時には空振りということもあるが、それも又人生。
いつかクリーンヒットを生むような答えがやって来る。
前回のブログ「ふと思ったことをしてみる」の中で、
1974年と表記してある部分は、2ヶ所とも、1978年の誤りでした。
お詫びして訂正させていただきます。