村上春樹さんが1989年に書いた短編小説「TVピープル」を読んだ。
重層する世界が、そこには描かれていた。
今の世の中も、きっとそうなのだ。
僕には見えても、あの人には見えない世界がある。
その逆の場合だって、もちろんある。
あの人には完璧に見えていても、僕にはちっとも見えない世界があるのだ。
探し物を探しても、なかなか見つからないことはしょっちゅうある。
何度も何度も同じ所を探したはずなのに、10分後にそこをもう一度見てみると、ちゃんとそこにあったりすることがある。
10分前には、確かそこになかったはずだ。
世界はたくさんの層で、きっと出来ているのだ。
さっき探していた時は、おそらく僕かあるいは僕が探していた物のどちらかが、別の世界に移っていたんだ。
(少なくとも、同じ層〈世界〉には同時に存在していなかったのだ)
僕らは、瞬間瞬間、その多重の層を彷徨して生きているのかもしれない(それが、生きるということの宿命なのだろう)。
現実は、いくつもあるのだ(非現実もきっといくつもあるのかもしれない)。
この世界では、瞬間瞬間の記憶を集積したものが、過去となる。
しかしその過去が真実の過去であったのか?と問われれば、自信は揺らいでしまう。
僕が真実だといくら思っていても、その場に同時にいた人たちにとっては真実ではない!ということだってあるに違いない。
それぞれの人が、過去を別々に解釈しているから。
僕は、過去のことなんてどうでもいいんじゃないかって、時々考える。
今この瞬間、僕はアバターの人たちを勝手に想像して、その人たちと毎日毎瞬出逢っている。
アバターの人たちだって、それぞれの人が僕をアバターとしてイマジンしている。
嫌な奴なんて僕は想像なんかしたくはないけれど、自由がきかないのだ(無意識がコントロールしているから)。
そして、その人たちが僕の目の前(視界)から姿を消してしまえば、そのアバターの人たちは僕にとっては存在しない人と化す。
どんなに大切な人であっても、家族や恋人であろうとも、すべては自身が生み出したアバターなのだ。
僕らは毎瞬毎瞬アバターの人をイマジンし、そして出来事をも創り出している。
その出来事に反射して、僕らは感情を生む。
その感情は消えることがない。
感情が消えないのは、感情には形がないから(記憶は消える。なぜなら記憶は形を持ったものだから)。
空気が永遠に存在するのに対し、肉体を持った人間は消える、それも同じ理屈だ。
特にネガティブな感情を無意識は好む傾向にあるので、来世にまで持っていってしまう。
人というのは、毎瞬反射を繰り返して生きている。
僕らはそれが思考だって勝手に解釈しているけれど、それはただの反射にすぎない。
思考なんかじゃない。ただの反射だ。
思考は現実化するけれど、反射は現実化しない(それは、ただの反応だ)。
映画を観たり、小説を読むと、僕らは主人公に同化して(なった気分になって)ハラハラドキドキしたり、涙を流したりもする。
その時僕らは、本当(真実)の自分のことをすっかり忘れている。
僕らの潜在意識は、映画や小説の主人公になりきってしまってモノを感じている。
潜在意識が自分と他人の区別がつかないことは、このことからも証明できそうだ。
僕って、誰?
僕が目をつむれば、その刹那視界がなくなり、真っ暗な闇になる。
そうすると、すべての目の前に存在していたモノは瞬時に消える。
つまり、僕の目の前あるモノたちって、本当は何もないんだ。
僕らが目を開けると同時に、無意識がイマジンして創ったものなのかもしれないな?
僕っていう物質だって、どこかの思考物質が創ったのだろう。
つまり、だから、僕はきっと誰でもないんだ!