顔 | blondcoco の人生相談

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朱夏世代(30代、40代)の うつや思春期特有の悩みが 得意分野です。


人と会ってコミュニケーションを取る時は、相手の顔を見ながら話すものだ。

仮に、相手の人の顔を凝視できるほどの間柄でなかった場合であっても、相手の顔の周辺(衿元とか、付けているピアスとか、あるいは背景にあるものとか)を見ながら話したりするものである。

フェイス トゥ フェイス という言葉があるように、人は顔を通して他人と繋がる。

もしも、顔のない人がいたら(そういう人はいないが)、君はいったいどこを見て話したらいいのか?戸惑うことだろう。

手や足をじっと見ながら話しても、相手と繋がっている感じはしないだろう。


パラリンピックなどに出ている競技者たちは、手や足を失っていても、顔は生き生きとしている人が多い。

手や足は全くの健常者であったとしても、もしも顔がやけどなどでケロイド状になってしまったら、人はきっと生きてはいけないような気がする。

現代の形成外科の技術をもってしても、目(瞳)や口(唇)などがケロイド状になれば、その復元はできない(鼻や頬や顎や髪の毛などは、なんとかなるが)。


実際に、戦場で顔に人には見せられないような大きな傷を負った人が、四肢はなんともないのに、自殺してしまったというケースはあったようだ。

たとえ手や足を失ったとしても、顔さえなんともなければ、人はそれだけでも前向きに明るく生きてゆけるものなのだ。

顔は、身体の中で、最も大切な部分なのだろう。

それでも人は、顔に少しぐらいできものが出来たり炎症が起きても、あまり病院には行きたがらいのは何故だろう?

指の爪が剥がれたり、手や足が骨折したり脱臼したりしたら、大騒ぎして病院に行くくせにね。



ps

美人でなかったため、風俗の仕事に就いても、一切お客がつかない女性がいた。

そんな悲哀を、小説「依存姫」(菜摘ひかる著)を読んだ時、女の人は顔のことでこんなにも苦しむものなんだ、と感じたことがあった。


psのps

1970年代に、アメリカから輸入されたキャラクターの中に、ホリーホビーという作家が描いたイラストがあった。

大きな帽子を被り、横顔を隠してブランコに乗る少女。

帰宅途中のような陽だまりの中の田舎道を、愛犬と一緒に歩く後ろ姿の少女。

ホリーホビーの描く少女の絵には、どれも顔が描かれていなかった。

だが、表情はなくても、その哀感はそのシュチュエーションから充分に伝わってきた。

いつも一人ぼっちの少女だったが、それでもそこに淋しさは全く感じられなかった。

淋しさではなく、ただ哀感があった。

ポジティブでもなく、ネガティブでもなかった。

安部公房の「他人の顔」を読んでいたら、ふとホリーホビーのイラストが甦ってくるのだった。