涙💧は、朝が好きだ。
一日の始まりの朝という時間が。
今朝も、いつものように布団の中で、自分の身体の全てを組み立て始める作業をしている(半ば無意識のうちに)。
眠っている間に、溶解して形のなくなっていた自分に、手や足を付けて、最後に首を載せて、一個の物質である人間に仕上げてゆくのだ。
涙💧はいつも一人で寝ているから、その部屋に誰かが入って来て、眠っている涙💧を目撃しない限り、涙💧はどこにも存在していない自分となり、宇宙の隅々を溶解した身体で翔び回っているのだ。
やがて、物質化された身体が出来上がったと感じたら、彼が次にすることは、部屋の中を見回すことだ。
そうすると、彼の視線の先には物質化現象が起きて、次から次へと3D映像の如くに物質化された風景(現実)が目の前に拡がってくる。
涙💧が眠っている間は、それらの風景(現実)も存在していなかったかのようだ。
涙💧は、部屋の中があまりに鮮やかに見えることに、少しの間ちょっと戸惑う(毎度のことだ!)。
涙💧が目を閉じて眠っていた世界は、常に薄い靄(もや)のようなものがかかった灰白色の世界であったからだ。
そこでは、今という一瞬は目に見えるけれど、昨日ということになると少しぼやけてしまう。
一昨日ということになれば、ほぼコンプリートに何も見えない。
そんな風にして、夢の中の世界では、いつも今という一瞬の中を彷徨しているのだ。
年齢は自在にどうにでもなる。
小学生にも、高校生にも、朱夏世代にも、白秋世代にも。
自分が想った年齢が、いつだってその時の今という一瞬を創り出し、その中で彼の魂は生きるのだ。
それが、きっと死後の世界なんだろうな?と、涙💧はイマジンする。
魂だけが自由自在に動き回り、肉体という物質は姿を消すという死は、涙💧にとって眠っている時と酷似しているように思えてならない。
人は、何故死ぬのか?
それは、形があるからです。
魂は、何故死なないのか?
それは、形がないからです。
人は、何のために勉強するのか?
それは、考える力をつけるためです。
人は、何のために生まれてくるのか?
それは、前世(過去世)からの想いを果たすためです。
人は、何のために生きるのか?
それは、人生を思いっきり愉しむためです。