阿寒に果つ | blondcoco の人生相談

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朱夏世代(30代、40代)の うつや思春期特有の悩みが 得意分野です。


昨年のことだが、たくさんのハードカバーの単行本を棄ててしまった。

主に1970年代に発行された、五木寛之と渡辺淳一の本だった。

およそ30~40冊ほど、ゴミとして出してしまったのだ。

1980年代に家を増改築した際、近所のシャッター付きの車庫を父親が借り受け、その中へそれらの単行本も入れられてしまった。

そのまま1~2年放置していた為、カビ臭い匂いが本にこもり、紙が茶色く変色してしまった。

それでも埃を払ってから本棚に戻し、以来ずっと最近までちゃんと保管していたのだが、あまりの本の汚なさに愕然とし、とうとう処分してしまったのだ。

その中に、渡辺淳一の「阿寒に果つ」があった。

その小説は、渡辺淳一が作家となって初期のもので、唯一自伝的な作品でもあった。

その中の一文は今でも忘れることはなく、折りにふれて時々思い出しては、心の中で反すうする。

『おおぜいの人に看とられようと、ただ一人原野に果てようと、死は、死んでゆく人だけのものである』という一文だ。


阿寒湖周辺で行方不明となっている中国人の若い女性(旅行者)も、おそらくはあの小説の中のヒロイン時任純子の生き様(あるいは死にゆく姿)に魅せられてしまったのだろう。

「阿寒に果つ」が出版されてから40年以上の年月が経つのに、この小説は今も尚現代に生きる人を魅了しているのだ。

文学というのは本当にすごいな、と思わざるを得ない。

ちなみにぼくがこの本を読んだのは、30歳前後だったと思う。

感受性豊かな10代、あるいは20代前半には、まだこの本は刊行されていなかった。

それが、ぼくにとっては幸いした。



ぼくは何故お店を経営するのか?


ぼくが何故45年以上もお店を経営しているのか?ということについて考えるに、それは明日の展開が分からないから、という理由が先ずあります。

明日どんな人が来店されて、どんなモノが売れるのかなんて、全く予測がつかないことです。

そのことが実は面白くて、お店を経営しているようなものです。

売上が少なければ、確かに苦しい局面に立たされます。

しかしそういうことも含めて、お店の経営というものは実に愉しいものです。

これはいわばアントニオ猪木式(あるいはもっと恰好よくいえば、ジャッキーロビンソン式)経営のようなものです。

アントニオ猪木というプロレスラーは、かつて強敵であったスタンハンセンやハルクホーガンと戦った時、試合中に何度も血ヘドを吐いたり、意識を失ったりしましたが、彼はそういうことをちっとも怖れなかった。

そういう(やられてしまう)ことも含めて、プロレスそのものが彼は好きだった。

負けることを嫌がらない人に、勝つことは難しいものです。

(負けることが嫌いな人に、勝つことはたやすいのですが)

彼が強かったのは所以は、まさにそこにあったのでしょう。