天城四郎 | blondcoco の人生相談

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吉川英治著「親鸞」の中に、天城四郎(あまぎのしろう)という大悪人が登場する。

彼は、十悪五逆の盗賊の首領だ。

彼が吉水での法話の会に、ひょんなことから大勢の聴衆の中にまぎれこんで、善信(親鸞)の話を聞く場面がある。

(以下、引用です)


「単に、悪いことをしないという善人よりは、むしろ、悪いことはしても、人間の本質に強い者のほうが、はるかに、菩提の縁に近いものだということもわかってきたし、また、そういう悪人がひとたび悔悟して、善に立ち直った時は、その感激と本質が加わるので、いわゆる善人の善性よりも、悪人の善性のほうが、かえってはやく御仏の心へ近づくこともできるー

ひとたび悪行の闇に踏みこむと、無間の地獄に堕ちるように、聖道門のほうではいうが、われわれ他力本願の念仏行者は、決して悪人といえども、それがために、憎むこともできない、避ける必要も持たない。

ただ、どうかして、その悪性が善性となる転機に恵まれることを願いもし、信じもするものである。


およそ人間の中に真の悪人などはいない。

善人の心にも悪があり、悪人の心にも善はある。

悪人と呼ばれるものは、社会からそういうけじめをつけられて、自身も、悪を嘆美したり、悪人がったり、悪を最善のものと思ったりしているが、その実、彼も人間の子であるからには、常々、風の音にも臆したり、末のはかなさを考えたりして、必ず、われわれのような生きがいは感じることができないでいるのだ。

世の中に、不憫な人間という者をかぞえれば、路傍の物乞いより、明日の知れない瀕死の病人より、そういう日常座臥に、人間のくせに、人間に対して負け目をもっている悪人である」


天城四郎は、この言葉を聞いて、感涙の涙をとめどなく流し続ける。

彼は、救われたのだ。

そして、ぼくも。


吉川英治「親鸞」が、戦前の昭和10~13年に執筆された頃、もう親鸞を書く作家は、今後出てこないだろうとも云われた(それほどまでに、この小説は完成されていた)。

でも平成になってから、ほんの数年前に、五木寛之さんが書いた。

氏もまた、親鸞によって救われた人だったのだ。