最後のデート (下)
晴海ふ頭に戻ってきてからは記憶がなくなるくらいのキスをした。
助手席で彼女に何度もキスをした。
カーステレオからは『離したくはない』が流れていた。
唇に、耳に、首筋に、うなじに何度もキスをした。
彼女の太ももの間にあった僕の右太ももは彼女を熱く感じていた。
そうしているうちに、彼女の美しい目から涙がこぼれ頬をつたった。
そして彼女は声を出して泣いた。
彼女はずっと声を出して泣いていた。
ふいに、彼女は僕に「大好き」と言ってくれた。
もう一度聞かせてくれないか、と僕は言って記憶するために体中の細胞を
集中させて彼女が僕に言ってくれる言葉を記憶に刻みこもうとした。
城南島海浜公園に向かう途中、左に曲がったときも彼女は僕にそう言ってくれた。
ただ、運転に集中していたせいか、歌を聴いていたせいか僕はそれを完全に
聞き取ることが出来なかった。
「あー、やっぱり○○○のことが好き」って言ったように記憶してしまった。
だから、なおさら彼女の気持ちをきちんと記憶する必要があった。
彼女は倒された助手席のシートの上で体を横にしていた。
髪は乱れていて、目は潤んでいて、彼女の上からキスをする僕をしっかりと見ながら
ちゃんと「好き」と言ってくれた。
ちゃんと体中で覚えたよ。
君の顔、体、唇の感触、舌の感触、髪のにおい、服のにおい、髪の感触。
一生忘れない。絶対忘れない。
だから、君も忘れないでくれ。
* *
おれたちが普通に付き合えたらとても素敵なことなんだろうね。
お互いをとても想っていて、キスの相性もとてもいい。
おれたちは100%の恋人になれただろうな、と思うよ。
そして、100%の夫婦になれたんだ。
出会うのが遅すぎた、なんて時間のせいにしたくはないよ。
何かが決定的に足りなかったんだ。
だからおれたちは100%になれたのに、ゼロで終わるんだ。ゼロなんだよ。
おれは君にもう何も足せない関係ということだ。
君は明日、11月18日結婚する。
結婚してしまったら、君は腹をくくるだろう。
おれの想い、言葉はもう届かなくなる。
これまでが幻であったかのように君にはもう届かなくなる。
それが怖い。
今も君を愛してしまっているんだ。
明日もそうだろうし、月曜日も、その次も。
月曜日どんな顔で君を見ればいい?
表情豊かな方ではないし、ちゃんと君を見る方法がわからないよ。
* *
その後も僕たちは話したりキスをしたりした。
運転席と助手席のシートを倒して、僕が彼女の方へ体を伸ばして
ゆっくりと確かめあうようにキスをした。
とても幸せだった。人生で一番のキスだった。
しかし、彼女との幸せな時間はいつも有限であるのと同じように
彼女は突然キスを拒んだ。
そして、彼女は申し訳なさそうに「ねぇ、そろそろ帰らないと・・・」と言った。
時間は0時を少し回ったくらいだった。
首都高での帰り道、2人で泣いた。
最初、彼女が泣いて、その後僕が泣いた。そして2人で泣いた。
『離したくはない』がかかっていた。
渋谷から三軒茶屋までは渋滞していた。
僕は外を見たり、右手の指を噛んだりした。
彼女は外の景色ともいえない景色をただ見ていた。
僕は彼女の右目から頬を伝う涙を見ていた。
ほとんど言葉を交わさなかった。
たまに僕はアクセルをキックダウンで踏んだ。
エンジンが高回転で回る音がカーステレオから流れる音を超えて聞こえてきた。
駅前で1度だけキスをした。
2度目はなかった。
そして彼女は去っていった。
「何も言わないよ。またね」と言って車から降り歩いていく彼女の後姿を見ていた。
しばらくそれをただ見ていた。
*
交差点で彼女からの手紙を読んだ。
それは、「ありがとう」で始まり、「ありがとう」で終わっていた。
「”ありがとう”この言葉を何度言っても足りないくらい感謝してる。
あなたに出会って”好き”って感じるまですごく早かった。
いつもわたしを笑わせてくれて、愛してくれて、すごい幸せだった。
でも、あなたとわたしは運命ではなかったんだって、そう思うようにしたの。
わたしは11月18日結婚します。
すごい悩んで考えて泣いて・・・出した結論なの。
でもね、わたしは生まれ変わったらあなたの苗字になりたいよ。
ありがとう」
目から大粒の涙が流れ続け、頬を伝って大きな音を立てて下に落ちていった。
鼻から鼻水が出続け息が出来なくなった。
嗚咽をあげながら運転した。金曜日の夜の環7は空いていた。
60キロで走りながら泣いた。
山手通りに入っていつも通り渋滞した。
もう一度手紙を読んだ。
解釈のしようがない手紙を何度も読んだ。
そしてまた泣いた。
*
家についてウィスキーを飲みながらまた泣いた。
玄関のドアノブに新聞を挟む音を聞いた。 寝たのは4時くらいか。
夢で彼女を見た。けれど何をしていたかなんて覚えちゃいない。
何度か起きて、彼女について考えた。彼女の名前を呼んだ。
そしてまた眠りについた。
携帯がなって目を覚ました。彼女からのメールだった。
それは、0.01%の可能性を感じるものだったから、僕は一生懸命メールを打った。
返信はなかった。
もう一度眠ることにした。また彼女の夢を見て、起きて彼女について考えた。
ちゃんと起きたのは19時を回っていた。
* * *
君は明日、フィアンセと手をつないで区役所に婚姻届を届けに行くんだろう。
事務員は「おめでとうございます」とでも言うのか。
実に見事で、実質的な婚姻だ。
おれは洗濯機でも回しながら君を思っているんだろう。
地獄だな。