ど平日の火曜日ならまだ混み具合もマシなんじゃなかろうか?!なんて考えは根底から覆されました。
1人。それも11月末の京都。
なんとか90分耐え抜き、入館。
ちょっと人と国宝に酔ってしまうほど、どちらにもある意味圧倒されました。
写真撮影禁止なので、よりこの目に、脳裏に焼き付けようと凝視しようとするんですが、いかんせん余りの人の多さで立ち止まってじっくり見ることは人気作品になればなるほど叶わないわけですが、気になった作品は何度も見に戻ることも可能なので、遠巻きからではありながら何度か見た作品もありました。
特に個人的になんか凄く惹きつけられたのが、奈良国立博物館所蔵の薬師如来坐像で、その何とも形容しがたい表情から何か生命力すらあるかのように感じてしまうぐらいでした。
作者が魂を込めて作るからなんでしょうかね、時空を超えて、何か伝わり、訴えかけてくるのは。
しかしまあ1000年以上も前に作ったり書いたりした物が残ってるって改めて凄いことだよなぁって思ったと同時に、人は骨しか残らない、下手したら骨すら残らないかもしれないけど、物、作品というのは素晴らしい物、価値ある作品を作れば残っていく可能性があるんだなぁって、当たり前のことなんですけど、なんだかしみじみそう思っちゃいました。
残る、残せる仕事、匠の技、職人の技術こそ国の宝なのだなと実感しました。
同じ人間で手先の器用さってこうまで違うんだなぁって、ほんとに色んな作品を見て凄いなぁと感心しきりでした。
あと、教科書に載ってた物や絵画を目の前にするとテンション上がるなぁというのと、
日本語の名称、漢字の意味とかが難しくて分かりづらくて、逆に英語表記を見た方がなんとなく意味が分かったり、なんてことも結構ありました。
それと、太刀に目を奪われました。
作家の北方謙三氏がエッセイで銃や日本刀について
「闘うために作られたものは、すべて美しい。(中略) 完全に無機的な、無駄を徹底的に排除した機能美がある。それが逆に、こちらの闘う情念を触発してくる。」
と書いてはったんですが、まさにその煌びやかに光るさまに、なにか情念のようなものが乗り移るかの如くな美しさを感じた気がしました。
そして何より、4期に分かれていて、展示品が違っていたので、見れなかった国宝、雪舟とか金印、風神雷神図とか他にも色々見たかったなぁ、もっと早くに行くべきだったなぁと悔やまれたのでありました。