札幌芸術の森美術館 に「ネオテニー・ジャパン 高橋コレクション」を観にいってきた。



 ここで「高橋」氏とは、精神科医・高橋龍太郎氏(1946年生まれ、東京在住)のこと。日本屈指の現代美術コレクターといわれ、1997年からわずか10年間で1,000点を超える現代美術作品を収集されてきた方だそうだ。またコレクションの範囲も、絵画・ドローイング・立体・映像・インスタレーションなど、大変幅広い由。ちなみに、この高橋氏、「あなたの心が壊れるとき」等を著したベストセラー作家でもある。

 表題になった「ネオテニー」とは、、動物学 や発生学で幼形成熟を意味し、幼形を保ったまま性的に成熟すること。人類は、そもそも類人猿のネオテニーという説があるそうで、幼形を保ったまま、ゆっくりゆっくりと成長することで、かえって、他のチンバンジー、オランウータン、ゴリラといった大型類人猿よりも、大きな進化を遂げたということらしい。高橋氏はこのような説を念頭に、江戸時代までに作られていた日本の芸術は、西洋文明(絵で言えば西洋画)により、ショック状態に陥り、その後、100年間かけゆっくりと成長し、ここに来て、ようやく目覚めたと捉えているようだ。このような考えは、その一部が美術館入り口においても記されている高橋氏の次のような言葉にも象徴されている。

  『印象派が単なる風景でさえ、芸術になることを発見したように、私たちの世代は、自分の日常が、アートとなることを発見しつつある。日本の若きアーティストたちは、世界のなかでその先頭にいるネオテニー的戦士たちである。先進国のなかで最も遅れて出てきたことは、人類がゆっくりと遅れて発達してきたというネオテニー的状態と重なる。』

 さて、今回の展覧会では、この高橋コレクションの中から、1990年代以降に台頭し、現在国際的に活躍する若手日本人作家32人の作品が選りすぐられている由。この宣伝文句に違わず、コンセプチュアルアート的なものあり、超絶技巧の作品ありで、多種多彩。本当に見ごたえ十分の展覧会だった。

 ほとんど、全ての作品が気になったのだが、いくつかご紹介すると、まずは加藤美佳の「パンジーズ」。冒頭の写真の絵なのだが、実物は少女の肌の具合や、少女が頭を乗せている動物の骨の描写などため息もの。近づいたり離れたりしながら絵を楽しんでいるうちに、だんだんとその場を離れ難くなってきた。
 できやよいの作品は、カラフルな色が画面から零れ落ちそうなぐらいの迫力に、まず圧倒されるが、近づいてみてみると、何と細かな人の顔が並んでいて、さらにその顔がちょっとずつ変化しながら別の顔になっていたり・・・だんだん絵の中に吸い込まれそうな感じがしてきた。(とりわけ、「みみちん 」が気に入った。)
 細密さというと、池田学の「領域 」という作品は、言葉を失う。正に神業。
 小川信治の作品、「最後の晩餐ーイエスー」と、「最後の晩餐ー弟子たちー」は、あの有名な「最後の晩餐」を模写した作品かと思うと(これまたすごい細密画だが)、実は、前者にはイエスがおらず、後者には弟子たちが描かれていない。確かに、タイトル見る前に絵を見ると、「おや?何か変だな、誰かいないぞ」と思うので、いない人間がタイトルになっているのが正しいということだろう。不在の人間が存在感を放つ不思議な作品。
 さわひらきの「spotter」は、家の中を小さな飛行機が飛び交い、それを、小さな人々が双眼鏡などで眺めているというビデオ作品。不思議なことに、画面の中の人々と同様、飛行機を眺めていると、なかなか見飽きない。
 鴻池朋子の「惑星はしばらく雪に覆われる 」は、ガラスの破片のようなきらきら反射する素材で作られた狼(?)。暗い部屋の中で、体に浴びせられたスポットライトが反射し、壁に様々な色と形の光の破片を作り出している。ちなみに、なぜか、尻尾の先に、ちっちゃなてんとう虫がついているのでお見逃しなく。
 最後に、小谷元彦。どれもこれもインパクトがあり、狂気を感じさせる作品。皮膚感覚を刺激され、ぞっとするが、これまた、なかなか目を離しにくくなる。

 以上、久しぶりに大満足の展覧会。今回の展覧会は、鹿児島県霧島アートの森 を皮切りに、札幌芸術の森美術館、最後は上野の森美術館 と3箇所のみでの開催となっている。現代アートに触れる貴重な機会に恵まれたことに感謝!皆さんも、是非、お見逃しなく!!!

 なお、この機会に、そばにある関口雄揮記念美術館 も訪れた。こちらは日本画の大家。紅葉や雲、海の描写など圧倒的迫力だった。