私の故郷である兵庫県の篠山市を紹介しましょう。篠山市は、元多紀郡篠山町でしたが、1999年に町村合併により篠山市と成りました。「丹波篠山の黒豆」が流布されたお蔭で大分知名度が上がって来ました。
篠山には歴史に残る2つの城があります。それは篠山城と八上城です。順を追って紹介しましょう。
写真中央に遠く見える山が篠山城の城跡から見た「八上城(やがみじょう)」です。地元では「やかみじょう」とか「高城山(たかしろやま)」と呼んでいます。
麓から見た八上城です。八上城は戦国時代初期、織田信長の命を受けた明智光秀が攻めあぐんだ山城です。この八上城は篠山城の完成と同時に廃城になりました。現在は格好の観光ハイキングコースに成っています。

篠山城の正面登城口です。篠山城は関ヶ原の合戦で勝利した徳川家康が藤堂高虎を縄張奉行として1609年に完成しました。篠山の地理的位置は大阪方面に出る関所的存在でした。そこで西国大名の抑えとして篠山城を築城しました。

篠山城のお濠です。今も満々と水を蓄えています。そのお濠傍の白い壁の建物は篠山市庁です。城の情景に馴染む配慮が成された建物構造に成っています。

篠山城につながる道筋です。大正モダニズムの建物が並んでいます。この道を200mも進むと篠山城に至ります。

篠山城の城下町です。この辺りは呉服町と呼ばれています。古くから呉服を商う商人が店を連ねていた事からその名が有ります。
篠山城は譜代6万石で、幕末の大名は青山忠誠公でした。その青山氏の江戸の藩屋敷が現在の東京の青山3丁目辺りに有りました。
東京都の青山なる地名が丹波篠山のお殿さまに縁がある事実は丹波の山猿達は誇りとしているところころです。