
灘区の公園での炊き出し風景
私はその日の朝、震度5ほどとテレビ報道していました。情報が錯綜していためかそれほど酷い地震とは感じられませんでした。私は気懸りながらも会社に出ました。ところが会社の食堂で昼食を摂っていて何気なく見たテレビ画像に愕然としました。神戸市灘区六甲道の高速が切断されたり折れ曲がったりしている。銀行のビルも傾いている。道路は石だの紙だのガラスなど訳の分からない有様に散乱している。
私は携帯電話で明石の妹宅に電話して、神戸の姉達二人の無事を知りました。何とも朝5時から12時過ぎまでの数時間は悪夢でした。

当時酷い災害のJR六甲道駅
私は姉達の無事が確認出来たので、とりあえずは安心しましたが、何日かの後に神戸に出掛けました。
姉は自宅マンションから避難して、近くの公園でテントを張り共同生活を始めていました。

あの刻を忘れないの碑(六甲道)
私もその公園で、ボランティアの人達による炊き出しの豚汁をご馳走に成りました。寒さ厳しいころとて、その一杯の豚汁の美味しかったことが今でも忘れられません。人の心の温かさだったのかも知れません。
昨年の東日本大震災は3・11の14時46分に突如発生、未だに被災者の傷は癒えません。阪神淡路大震災は、冬空の寒い1月17日朝5時46分に発生しました。
私は阪神淡路大震災と東日本大震災も同じ46分であることに気付きました。何かの因縁かも知れません。


