信州高遠城と仁科盛信☆新宿御苑 | 真空管のアナログ世界に魅せられて

真空管のアナログ世界に魅せられて

「温故知新」と言う言葉が有りますが、真空管は将にそんな存在だと思います。真空管を今では知る人も少なくなりましたが、デジタル全盛の今でも、真空管のアナログ技術を学び、真空管ラジオを楽しむ人は沢山います。私もその中の一人です。真空管を愛しむ想いで・・・・。

東京の新宿御苑は信州・長野の高遠城主内藤氏の藩屋敷の在った場所です。そこは内藤新宿と呼ばれていました。

その名残で、今も新宿と呼ばれています。その新宿に在る新宿御苑は大都市の中の桜の名所として都民の憩いの場所と成っています。


真空管のアナログ世界に魅せられて-新宿御苑桜

    新宿御苑の桜(4月10日)


高遠城址は、今は小高い丘の上に、お堀跡と石垣が残るだけですが、明治時代に元藩士の有志により桜が植樹され、信州・長野の代表的な桜の名所と成りました。


高遠城の武田家として最後の城主で有った仁科盛信は、織田・徳川連合軍の猛攻にも屈せず、武田の最後の砦として武田に殉じました。仁科盛信は武田勝頼の腹違いの弟です。駿河支配の武田家の重鎮穴山梅雪が敵方の家康に通じる事件を契機にして、味方が雪崩れの如く織田・徳川の軍門に降る中、最も激しく抵抗したのが仁科盛信でした。


真空管のアナログ世界に魅せられて-高遠城跡公園
    信州「高遠城址公園」


高遠の地は伊那山地に在り、三峰川、高遠湖に囲まれた天険の地でした。織田・徳川連合軍にとって攻め難い地でした。しかし、流石の仁科盛信も遂に力尽き、高遠城は、1582年3月2日に落城しました。城中の女子供まで討ち死にの壮絶な戦いでした。


この武田最後の戦闘を通し武田勝頼の魂を慰める、唯一つの大きな戦闘でした。勝頼は、この盛信の壮絶なる武士たる働きに心を安んじ、天目山に自刃したに違いありません。


NEWアメーバやや欠け月


にほんブログ村 コレクションブログ その他珍しいコレクションへ
にほんブログ村