今年は、日・トルコ友好120周年の節目の年に当たります。
その友好は、120年前の日本人の行動が契機と成りました。
1890年に、日本を訪問したオスマントルコの軍艦、エルトゥルル号が和歌山県串本町沖で激しい嵐で遭難。乗組員600人の内、531人が亡くなり、生存者69人の大惨事でした。
この不幸な事故に際し、串本町の人々は、遭難者に対し献身的な救助を行うとともに、生存者をトルコまで送り届けました。この日本人の人間愛に満ちた行動以来、日本とトルコは120年に亘り、友好が続いています。
またこんな逸話も有ります。イラン・イラク戦争勃発時、フセィンが40時間以内にイランを爆撃すると通告したとき、在留邦人はパニックに成りました。その時、空港に一機のトルコ航空の飛行機が到着しました。その飛行機は日本人216名全員を乗せて、イランを脱出しました。
トルコは、第一次世界大戦に於いて、ドイツの同盟国として戦い敗北。トルコはバルカンとアラビア半島その他を連合国に譲渡、アナトリアだけの小国になりました。
その後1922年に至り、トルコ革命により、オスマントルコは滅亡。民主化が進み、オスマントルコ時代に失った領土を取り戻しました。
トルコはイスラム教の国ですが、西欧とは距離を置いています。それは、2001年の「9.11アメリカ同時多発テロ」の後遺症のようです。
日本では、自殺者が年間3万人にも達しますが、トルコでは、自殺者が少ない。それは、イスラム教の教えにあるようです。それは、何が起こっても、自分のせいではない。神の思し召しだと考えるからのようです。印象的な考え方でした。