JR北鎌倉駅より鎌倉方面に歩いてすぐの松ヶ岡に在ります。
この寺にお参りする人は多いのですが、別名、駆け込み寺とか縁切り寺と呼ばれているので、ちょっと気になります。
鎌倉時代から江戸時代を経て、現在にまで存続する名刹です。江戸時代には幕府公認の有力な寺でした。
鎌倉時代、北条時宗の後室・覚山尼が開いています。
1285年(弘安8年)
東慶寺山門
この向こうに自由が・・・
江戸時代初頭には、豊臣秀頼の娘が入室して幕府から
厚遇されています。天秀尼と言いました。
天秀尼は、家康の長男・秀忠の長女、千姫と秀頼の間に生まれた女子でした。そのため、この東慶寺は徳川・豊臣両家に縁の寺 と言えます。
封建時代の江戸時代では、夫が妻を離縁するには、
三行半(みくだりはん)で済ませたようですが、妻側の意向で夫と離縁したい時には、妻は、この寺に駆け込んだ訳です。
駆込み寺は、この東慶寺のほかに群馬県の満徳寺も
同じ性格の寺でした。徳川家に縁の浄院尼の開創です。
