私が松永久秀ゆかりの地・生駒山(大阪府と奈良県の県境に在る)に出かけたのは何年か前です。
久秀の居城「信貴山城」は、1577年代に、秀吉と織田信忠の連合軍4万と死闘を繰り広げた地では有りますが、現在では生駒山系の信貴山(標高437M)の山頂に、一本の標識と観光看板が建つのみです。
松永弾正久秀(1510~1577)は悪逆非道の梟雄と言うのが定説です。久秀が、東大寺大仏殿を焼き払い、主人の三好長慶を毒殺、信長と一旦は同盟を結び、越前対策などで協力しますが、上杉謙信が上洛の動きあると見るや、信長不利と見て躊躇することなく、信長に背きます。この久秀の油断ならぬ動きをして、梟雄と言わしめたものでしょう。
更に、時の征夷大将軍足利義輝が、久秀を除かんとするや、密かに京都に進攻、義輝を殺戮してしまいました。(信長が接近した義昭は義輝の弟)。松永久秀にとっては将軍すら恐れる事は無かったわけです。
(注)
征夷大将軍の称号は中断後、源平の合戦の頃、
1184年に源氏の源 義仲が任命されて以 降、
源氏の血を引く武将に授ける 事に成っていた。
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