私は、特別の宗教とか哲学に傾倒してはいませんが、自然現象などの「人の営み」より優れたものに対しては、畏敬の念を持って接します。
例えば、太陽とか高い山、大河には、自然の偉大さに心を打たれます。これは私ならずとも多くの人々の共感の得られる所と思います。
私は、趣味として、科学とか歴史に興味を持っていますが、ふと立ちどまり、「生きとしいけるもの」の生命とか幸せとは、なんどやと思うことがあります。
人は祝福されて生まれ、哀しみとか、挫折を経て、やがては、幸せとか喜びを体感するように成長して行くものだと思います。しかもその幸せは自分流の幸せでいい。
例えば、ある人が、哀しく不幸だと思う現在は、自己の成長の過程に有るのだから、焦ることは、少しも無い。むしろ、自信を持って良いのでは・・・。
こんな言葉があります。「禍福はあざなえる縄の如し」。あざなえる・・とは「縄をよる」ことを言います。
中国の古い言葉ですが、人の災いとか、幸せは縄目のようなものだと言う喩です。縄目のように、辛いこととか、災いの次には、幸せが来るものだという喩です。
ゆったりした心で、その日を過ごせることが出来る自分を見つけることが出来れば、しめたもの。幸せはそこまで来ている。
今回は、何時もとはトーンの違うことを書きました。面食らった方も居られるかと思います。一寸した口直しと思ってください。
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