京都は、桓武天皇が長岡京に替わる都を京都に定め、794年に京都遷都以来、1868年(明治元年)の東京遷都まで
1174年間王都の歴史を守って来ました。
ただ厳密に言いますと、室町時代の前期1333年の南北朝時代があり、朝廷が京都と奈良吉野の2箇所に有った異例の事実がありますが、この間60年間でした。
京都は足利尊氏擁立の光明天皇と、吉野の後醍醐天皇と対立していた時期が有ったのです。光明天皇側を北朝といい、吉野の後醍醐天皇側を南朝と称していました。
京都といえば、戦災に遭わなかったことも幸いして、観光資源が豊富です。2000以上の古い社寺が多く日本最大の観光都市と成っています。1944年には世界遺産に登録されています。
ところが、この観光都市京都に、世界に冠たるハイテク企業が沢山存在している事は余り知られていません。
先ずは、ノーベル賞の田中耕一さんで有名な、「島津製作所」(創立1875年)が有ります。ほかに、自転車に乗るロボットで有名に成った「村田製作所」(創立1950年)、ファインセラミックスで世界に名をなす「京セラ」(創立1959年)、HDD用の精密小型モーターの「日本電産」(創立1949年)、自動車などの計測システムの「堀場製作所」(創立1953年)等々が挙げられます。他にローム、オムロンなどの有力企業が有ります。
これら企業の内、1875年創立の「島津製作所」を除けば、全て、戦後生まれの新進気鋭の新しい企業ばかりです。
今話題の音楽の i-Podは、アメリカのアップル社の世界ヒットの商品ですが、中の部品は、日本の部品メーカーで占められています。日本のメーカーが存在しなければ、流石のiPodも世に出ることはなかった訳です。
コンデンサーチップ部品の村田製作所、ハード・ディスク用小型精密モーターの日本電産、ハードディスクの東芝、ボディも新潟の企業で研磨されたステンレス製から成っています。
私は古都、京都に一見不似合いと思われるハイテク企業が、如何に育ったのか非常に興味を覚え、その理由を私なりに考察してみました。
その理由の第1は、
京都は戦災に遭っていないことが挙げられます。戦後の復興が他の都市に比べて素早く出来たことは想像に如くはありません。
第2に京都は、
人口当たりの大学が日本で一番多く、、京都大学、京都工芸繊維大学、京都府立大学、立命館大学、同志社大学、など総数38校の大学が有ります。このことは、企業の基礎研究に大いに貢献したことが考えられます。
第3に京都は、
京阪神の工業地帯の一角にあったことが、新進の企業にとって非常に有利で有ったことはいうまでもありません。
第4に京都は、
神戸港という横浜港に次ぐ国際港を、近くに持っていた地理的有利性が考えられます。
以上、私見をご披露しました。ご興味ある皆さんのご参考になることを祈ります。