◇◇「平泉」を世界遺産に推薦。 | 真空管のアナログ世界に魅せられて

真空管のアナログ世界に魅せられて

「温故知新」と言う言葉が有りますが、真空管は将にそんな存在だと思います。真空管を今では知る人も少なくなりましたが、デジタル全盛の今でも、真空管のアナログ技術を学び、真空管ラジオを楽しむ人は沢山います。私もその中の一人です。真空管を愛しむ想いで・・・・。

虹カメラ政府は14日、中尊寺などからなる浄土思想の漲る「平泉」(岩手県平泉町)を世界遺産としてユネスコに正式に推薦する事を決めました。実際に決定されるかどうかが分かるのは、平成20年7月ごろになるようです。


私も、平泉には何度か行きました。電車で行った事も有りますが、原付バイクで行った事が一番印象に残っています。


私は神奈川Pref.に住んでいますので、平泉までの距離は500キロほど有ります。電車の利用だと、JR東海道~JR新幹線やまびこ~JR東北本線を経由して、4時間半ほど要します。原付バイクの場合は平均的な速度は、途中の休憩などを含めると時速25キロ程度です。


当時30歳台の私としては、会社も有りましたから、一日の走行時間を、なんとか頑張って8時間は走行するようにしました。計算上は、一日200キロ走れる計算ですが、バイクの故障などのトラブルとか、休憩、途中の観光なども考慮し、余裕を見て、3日掛けて平泉に着くことを目標としました。


一番困った事は、バイクの思わぬ故障です。自分でも一応の修理道具は持参するのですが、部品の破損には、全くお手上げです。


私の乗っていたバイクは、スクーター型のホンダ四サイクル(スペーシー50)でしたが、アクスルワイアが切れたことがあり、これにはほとほと参りました。応急処置として針金で引っ張りそろりそろり走り、ホンダの部品センターにやっとの思いで辿り着き、何とか修理して貰ったりしました。


もう一つ困る事は、バイクは思わぬ時間のロスが有りますので、事前に宿の予約が取れないことでした。ですから旅の宿泊はもっぱら、野宿でした。そのため何時も寝袋を持参していました。


ある時、神社の軒を借りて、寝袋に収まっていたら、丑三つ時に、人が一人明りを灯して、パタパタ足音を立てながら、神社本殿に近付いてくる気配には、えもいわれぬ恐怖を感じました。真っ暗な夜でしたので恐怖を増幅しました。私は寝袋姿ですから、身動きが取れませんから、じーっと凍り付いたように不動の姿勢でした。


結局、その人は、神社に願掛けだったらしく、私の存在に気付くことなく、懇ろなお祈りの後、去って行きましたので、私は冷や汗をそっと拭ったものです。


私が平泉に出かけた理由は、毛越寺、中尊寺を見て、藤原3代の栄華の後を偲ぶ事も有りましたが、何と言っても、源義経が討ち死にしたとされる、義経の居館「高舘」を実際に見て、当時を偲びたかったのです


高舘」は衣川の畔に有ります。私は、何と言っても、過去も現在も無類の歴史好きでしたからね。


松島バイク

途中「松島」で休憩


毛越寺

「毛越寺」