『美術品を見る』と
『美術品を買う』ということには
美術品を買い求めたことのある人にしかわからない
「雲泥の差」が存在します。
私に美術品を買うように促した存在があるとするならば
それは白洲 正子さんのこの本です。
出産前の私は恐ろしく体が弱かったのです。
20代の初めのある時、
恐らく数日は寝込みそうな体調を感じて
書店に走りました。
その時に見つけたのがこの本です。
案の定その後2,3日は寝込んでしまいましたが、
体調が良くなる頃、
その本の中の
「志野の輪花の盃」というものが
私の心を占拠してしまいました。
初めて古美術品を心から欲しい・・・
できるなら手に入れたいと思うようになったのですね。
桃山時代の古陶磁となれば
その頃の私の収入では決して求められないことは
明白だと思いましたので、
私なりにリサーチをして、
自分にふさわしい入口を見つけたわけです。
それが本郷の骨董やさん。
かなりマニアックな店で、
女性客は恐らくは私一人ではなかろうか・・・といった具合でした。
美濃や唐津の古陶磁の世界は
男の世界だったのだわ・・・と
そこに通い始めて初めて知ったという具合。
通常は華やかな色絵の焼物から入って、
年齢を増すにつれ、志野などに到達をするらしいのです・・・が、
私は20代の女性にして
まるで正反対から入門してしまったらしい。。。
通い始めてから間もなくは
納得するような志野には巡り合えず、
初めて買った骨董は
織部の筒向付、もちろん完品なんかじゃなくて
呼継ぎされたもの。
呼継ぎとは様々な陶片を集めて
一つの器に仕立てたものです。
(残念ながらそれは後に売却をしてしまいました。
とっておけば良かったなぁ・・・と思うけれど
今さら実に惜しいと思うけれど、
自分なりに脱皮したかったのでしょうね。
売ってしましました。)
織部の筒向付が私にとっては
初めての骨董だったわけですが、
買ったことでどれだけ多くのことを学ばせてもらったか知れない。
美術館で眺めるだけではわからないこと・・・
それは陶器の質感や匂い、陶器の厚み・・・
或いは作り手の息吹のようなもの・・・
他にも様々な情報が
私の中に流れ込んでくるのです。
私の持ち物は桃山時代の陶片を
現代に呼継ぎをしたもので
決して一流ではありません。
ただ継がれた陶片一つ一つは、
まさしく一流のものだったのです。
ちょっと唐突に聞こえるかも知れませんが、
先日みたテレビ番組で
瀬戸内寂聴さんが、
「恋愛はしないよりした方がはるかに良い。
真剣な恋愛ほど人を成長させることはない。」と
仰っていたのですが、
実は美術品との出会いも
寂聴さんのいう恋愛の効能に近いものがあると思うのです。
美術品との真剣なる対峙は
人を確実に成長させると私は思っています。
つづく・・・