人類の習性
何を幸せと感じるかは、人に依って異なる。むしろ年齢や、その日の気分、でも変わる。一生変わらない、人の気持ちは、是非はともかく、存在しない。
一人で生活するのが気楽で幸せな人もいる。
少なくとも私は独り生活を気楽とは感じなかった。只々、寂しいと感じた。
独りで自宅でテレビを見ながら夕飯を食べる、さびしさ。
独り生活を楽しもうと、休日の朝から風呂につかりながら食べるプリン。刹那的な楽しみが、湯冷めとともに、更に寂しい気持ちを呼び起こし、布団に包まる。 病むね、コレは。
人は、一緒にご飯を食べる他人を、仲間と感じる習性があると思う。実感であり科学的根拠はない。想像するに、食糧を得ると言うのは、生物誕生以来の最重要課題で、人類は食卓を共にする同族というのは、当該食糧を協力して調達した仲間だということで、その人と一緒に居ると食いっぱぐれがないだろうと、本能が勝手に解釈するんじゃないかなと思う。
だから、私は好きな異性ができたら、食事に誘うということを、してたのだろうな~。と、思う。