生活に変化をつくる
心理的な病は、言ってしまえば生活習慣病です。
というのは、生活の中で繰り返される
心と体とに有害な習慣によってなっていくからです。
心理的に病んで行く習慣というのはどのようなものが
考えられるのか。
・頭の中で同じ怒声を反芻する
・背中を丸める
・顔の筋肉の力が抜ける。
・視線を下に向けて歩く
こういったことがあげられます。
心理的に病んでいく人の行動パターンは、
かなり少ないです。
いつものっそり歩いていたりします。
いつも同じ怒声が頭の中で反響していたりします。
いつも背中が丸まっています。
いつも顔の筋肉が緩んでいます。
その選択肢の少なさ、
選択肢に気づけない視野の狭さこそが
病の原因なのだろう、と自分を振り返っても思います。
ですから、生活の中に選択肢を増やすことが
治癒につながります。
具体的にはいつもやっていることを
少し変えてみるのです。
例えば
・歩くリズムを早くしてみる。
・歩くとき視線を上向きにする。
・上向きが続きそうにないなら、右斜め前に落としていた視線
を左斜め前に変えてみる。
・自分の部屋の空気の入れ替えをする。
・掃除をする。
・聴く音楽を変えてみる。
・頭の中で鳴り響いている声の質を
変えてみる
こういったことで心の状態は簡単に変わっていくのです。
体の使い方、身の回りの環境に心も影響を受けるからです。
ただし、今の自分の状態を変えようとしている人に限ります。
心理的に病んでいる方が、「みんながかまってくれるから
このまま病んでいるほうが、
対人関係でうまくいかなかったときに戻るよりよっぽどいい」
と思っているうちは、無理だと思います。
変えないほうがメリットが大きい
と感じているからです。
ちょっと試してみて、「やっぱり無理だった」と
変わらない理由を探してもとに戻ってしまうでしょう。
もしあなたが心の病を抱えていて、人に負担をかけてしまっても
仕方がない、とお思いであれば。
その負担をかけている人があなたの友人であれば、
連絡が取れなくなるでしょう。
その負担をかけている人があなたの恋人や配偶者であれば、
いずれ別れを切り出されるでしょう。
その負担をかけている人があなたのご両親であれば、
先に亡くなるでしょう。
その負担をかけている人があなたのご兄弟であれば、
「自立をしろ」といわれてかまってもらえなくなるでしょう。
もう、こんな弱い自分は嫌だ、
と心の底から決心することが必要です。
その決心が根底にあればこそ、治療法のテクニックが効いてくるのです。
心がどんなに不調であっても、
自分の人生に変化を起こすことはできます。
右下ばかり見ていた視線を左横に変えるだけで、
頭の使い方は変わってきます。
少なくともあなたの目に映る風景はかわってくるのです。
今回は病んでいる人には少し負担になる内容だったかも
しれません。
が、身近な人に言われるより、見知らぬ私の文章で
気づけたほうがあなたにとって負担が少ないと
思いますので記すことにしました。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。
というのは、生活の中で繰り返される
心と体とに有害な習慣によってなっていくからです。
心理的に病んで行く習慣というのはどのようなものが
考えられるのか。
・頭の中で同じ怒声を反芻する
・背中を丸める
・顔の筋肉の力が抜ける。
・視線を下に向けて歩く
こういったことがあげられます。
心理的に病んでいく人の行動パターンは、
かなり少ないです。
いつものっそり歩いていたりします。
いつも同じ怒声が頭の中で反響していたりします。
いつも背中が丸まっています。
いつも顔の筋肉が緩んでいます。
その選択肢の少なさ、
選択肢に気づけない視野の狭さこそが
病の原因なのだろう、と自分を振り返っても思います。
ですから、生活の中に選択肢を増やすことが
治癒につながります。
具体的にはいつもやっていることを
少し変えてみるのです。
例えば
・歩くリズムを早くしてみる。
・歩くとき視線を上向きにする。
・上向きが続きそうにないなら、右斜め前に落としていた視線
を左斜め前に変えてみる。
・自分の部屋の空気の入れ替えをする。
・掃除をする。
・聴く音楽を変えてみる。
・頭の中で鳴り響いている声の質を
変えてみる
こういったことで心の状態は簡単に変わっていくのです。
体の使い方、身の回りの環境に心も影響を受けるからです。
ただし、今の自分の状態を変えようとしている人に限ります。
心理的に病んでいる方が、「みんながかまってくれるから
このまま病んでいるほうが、
対人関係でうまくいかなかったときに戻るよりよっぽどいい」
と思っているうちは、無理だと思います。
変えないほうがメリットが大きい
と感じているからです。
ちょっと試してみて、「やっぱり無理だった」と
変わらない理由を探してもとに戻ってしまうでしょう。
もしあなたが心の病を抱えていて、人に負担をかけてしまっても
仕方がない、とお思いであれば。
その負担をかけている人があなたの友人であれば、
連絡が取れなくなるでしょう。
その負担をかけている人があなたの恋人や配偶者であれば、
いずれ別れを切り出されるでしょう。
その負担をかけている人があなたのご両親であれば、
先に亡くなるでしょう。
その負担をかけている人があなたのご兄弟であれば、
「自立をしろ」といわれてかまってもらえなくなるでしょう。
もう、こんな弱い自分は嫌だ、
と心の底から決心することが必要です。
その決心が根底にあればこそ、治療法のテクニックが効いてくるのです。
心がどんなに不調であっても、
自分の人生に変化を起こすことはできます。
右下ばかり見ていた視線を左横に変えるだけで、
頭の使い方は変わってきます。
少なくともあなたの目に映る風景はかわってくるのです。
今回は病んでいる人には少し負担になる内容だったかも
しれません。
が、身近な人に言われるより、見知らぬ私の文章で
気づけたほうがあなたにとって負担が少ないと
思いますので記すことにしました。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。
福島帰省記
先日ゴールデンウィークを利用して、
福島の実家に帰りました。
玄関が閉まらなくなったとか、
仏壇が倒れたとか。
かわらが落ちたとか、
近くの工場がつぶれたとか
灌漑用水地が決壊したとか、
近隣のマンションの貯水タンクが落ちてきたとか
いろいろ聞いていたのですが、仕事がてんてこ舞いになってしまって、
帰れずじまいでした。
自分の直接の知り合いに死人がいないことだけは
確認していたのですが。
福島県は、縦に3つに分けて、
東から浜通り、中通り、会津
と地域が分かれます。
私の実家は中通りで、今回の甚大な被害の地域からは少し離れているのですが、
第一原子力発電所から70KMくらいのところで、
ペンダゴン基準では強制避難の対象になる・・・とアメリカに嫁いだ
親戚が知らせてくれました。
がどうしようもない。
日本でペンタゴン基準を適用すると
かなり行く場所がなくなってしまうため、
多分無理。
いろいろ思うところもありますが、
東京電力に誠実にがんばっていただくしかないです。
テレビは避難場所の連絡ばかり。
知り合いがやはり津波に遭ったとのことで、
ははと見舞いに行ってきました。
写真は、そのときのもの。
海岸沿い
絶句
稲作はできなくなっているところが多く、
この時期なのに、水田に水がはっていないのが
気になる。
昔の同僚はGWは田植えの手伝いとか言っていたのに。
今学生をやっている友人の車で再度被災地に行きました。
友人もバイト先のホテルを免職になったとか。
友人の車で行って、その帰り道に
バッテリーが上がってしまいました。
行くときからバッテリーランプがついていたのですが。
帰路では明らかにだんだんライトが消えてきました。
交差点を曲がるところでウインカーがつかなくなり、
曲がってしばらくしたら、アクセルを踏んでもエンジンが
回らなくなってついにエンスト。
この時点で、友人はパニックになっていました。
全くノーアイディア。
ジャフ呼べといっても理解ができない。
聞いてみると
1万位して、結構高いので却下しました。
しばらくするとバッテリーの電圧が上がって、
運転できるようになってきました。
メダパニ まだパニック状態の友人の運転は
危ないので、私が運転をかわりました。
めいんすとりーと(ふくしまけん基準で)だったので、
何とか近くのガソリンスタンドまで行こうと車を
走らせます。
途中信号で止められてしまいます。
が、アクセルを離すとエンジンもとまっちゃいそうだったので、
ニュートラルでふかし続けます。
環境に悪いですね。
が、こちらも帰れるかどうかの瀬戸際なので、やっぱりふかし続けます
対向車線にガソリンスタンドがあり、Uターン中もエンジンが止まりそうに。
車の切れ目で何とか近くのガソリンスタンドに入ることができました
お姉さんと話している間にエンジンが自動停止(エンストともいう)しました
おねえさんにバッテリーを交換してもらう。
エンジンがつく。
が、バッテリーランプはついている。
一抹の不安。
再度おねえさんに相談。
電圧を測ってもらい、大丈夫との太鼓判をいただいたので、
帰る。
めだぱにまだパニックが残っている友人の運転は
不安だったので、やはり私が運転する。
のべ40KMくらいまでは順調っぽかった。
が、山を越えた当たりでだんだんライトが暗くなってくる。
どうやらバッテリー単体の問題ではなく、
発電機が機能していない
ことが原因だったっぽいことに気がつくが、
夜も遅く(21:00過ぎ。福島では、これ以降は深夜扱い・・・雰囲気的に。)
直せるようなところはやっていない。
道も節電するまでも無く元々街灯も無い夜道(←国道)
車列からはぐれてしまっては
いつ田んぼに突っ込んでも不思議ではない。
幸いなことに前後をトラックに挟まれていたので、
その明かりを頼りに運転。
が、目的地まであと10KMというところで
アクセルがきかなくなる。
緩やかに原則、そしてエンジンのオートストップ(エンストともいう)
路上駐車。
幸い300M行ったところに中継地点として
目指していたファミリーマートがあったので、
懐中電灯を買ってきてもらう。
その間、追突されないように誘導
(反射材を積んでなかった。。。)
結構怖い。
しばらくしてから、やっとひらめいて、
ニュートラルにしてコンビニまで押して行く
友人の親戚に迎えに来てもらう。
車は一旦放置。
翌日友人の家の前を通ったら車は戻ってきていました。
よかった。。
■一週間いたのですが。
毎日余震。
初日は風も強かった。
気象庁の地震速報を見ると、余震の情報が無いのに家が揺れている。
風でゆれているのか地震で揺れているのかわからない。
みしみしいってました。
帰るときは、外壁の壁が広がっていました。
母は半壊申請をしなおすとか言っていました。
実家があるし、当然人ごとではないわけですが。
自分にできることをひとつひとつ考えていくしかないですね。
■写真は
福島県三春町の公園の桜の写真です。
滝桜が有名ですが、この時期は
駐車料金がかかるので
(福島県三春町の大切な大切な収入源です。)
この時期は滝桜近くの公園にて散策することにしています。
途中から、ですます体とごちゃ混ぜの
ブログをここまで読んでくださり、
本当にありがとうございます。
コメント・メッセージなどをお待ちしております。


福島の実家に帰りました。
玄関が閉まらなくなったとか、
仏壇が倒れたとか。
かわらが落ちたとか、
近くの工場がつぶれたとか
灌漑用水地が決壊したとか、
近隣のマンションの貯水タンクが落ちてきたとか
いろいろ聞いていたのですが、仕事がてんてこ舞いになってしまって、
帰れずじまいでした。
自分の直接の知り合いに死人がいないことだけは
確認していたのですが。
福島県は、縦に3つに分けて、
東から浜通り、中通り、会津
と地域が分かれます。
私の実家は中通りで、今回の甚大な被害の地域からは少し離れているのですが、
第一原子力発電所から70KMくらいのところで、
ペンダゴン基準では強制避難の対象になる・・・とアメリカに嫁いだ
親戚が知らせてくれました。
がどうしようもない。
日本でペンタゴン基準を適用すると
かなり行く場所がなくなってしまうため、
多分無理。
いろいろ思うところもありますが、
東京電力に誠実にがんばっていただくしかないです。
テレビは避難場所の連絡ばかり。
知り合いがやはり津波に遭ったとのことで、
ははと見舞いに行ってきました。
写真は、そのときのもの。
海岸沿い
絶句
稲作はできなくなっているところが多く、
この時期なのに、水田に水がはっていないのが
気になる。
昔の同僚はGWは田植えの手伝いとか言っていたのに。
今学生をやっている友人の車で再度被災地に行きました。
友人もバイト先のホテルを免職になったとか。
友人の車で行って、その帰り道に
バッテリーが上がってしまいました。
行くときからバッテリーランプがついていたのですが。
帰路では明らかにだんだんライトが消えてきました。
交差点を曲がるところでウインカーがつかなくなり、
曲がってしばらくしたら、アクセルを踏んでもエンジンが
回らなくなってついにエンスト。
この時点で、友人はパニックになっていました。
全くノーアイディア。
ジャフ呼べといっても理解ができない。
聞いてみると
1万位して、結構高いので却下しました。
しばらくするとバッテリーの電圧が上がって、
運転できるようになってきました。
危ないので、私が運転をかわりました。
めいんすとりーと(ふくしまけん基準で)だったので、
何とか近くのガソリンスタンドまで行こうと車を
走らせます。
途中信号で止められてしまいます。
が、アクセルを離すとエンジンもとまっちゃいそうだったので、
ニュートラルでふかし続けます。
環境に悪いですね。
が、こちらも帰れるかどうかの瀬戸際なので、やっぱりふかし続けます
対向車線にガソリンスタンドがあり、Uターン中もエンジンが止まりそうに。
車の切れ目で何とか近くのガソリンスタンドに入ることができました
お姉さんと話している間にエンジンが自動停止(エンストともいう)しました
おねえさんにバッテリーを交換してもらう。
エンジンがつく。
が、バッテリーランプはついている。
一抹の不安。
再度おねえさんに相談。
電圧を測ってもらい、大丈夫との太鼓判をいただいたので、
帰る。
不安だったので、やはり私が運転する。
のべ40KMくらいまでは順調っぽかった。
が、山を越えた当たりでだんだんライトが暗くなってくる。
どうやらバッテリー単体の問題ではなく、
発電機が機能していない
ことが原因だったっぽいことに気がつくが、
夜も遅く(21:00過ぎ。福島では、これ以降は深夜扱い・・・雰囲気的に。)
直せるようなところはやっていない。
道も節電するまでも無く元々街灯も無い夜道(←国道)
車列からはぐれてしまっては
いつ田んぼに突っ込んでも不思議ではない。
幸いなことに前後をトラックに挟まれていたので、
その明かりを頼りに運転。
が、目的地まであと10KMというところで
アクセルがきかなくなる。
緩やかに原則、そしてエンジンのオートストップ(エンストともいう)
路上駐車。
幸い300M行ったところに中継地点として
目指していたファミリーマートがあったので、
懐中電灯を買ってきてもらう。
その間、追突されないように誘導
(反射材を積んでなかった。。。)
結構怖い。
しばらくしてから、やっとひらめいて、
ニュートラルにしてコンビニまで押して行く
友人の親戚に迎えに来てもらう。
車は一旦放置。
翌日友人の家の前を通ったら車は戻ってきていました。
よかった。。
■一週間いたのですが。
毎日余震。
初日は風も強かった。
気象庁の地震速報を見ると、余震の情報が無いのに家が揺れている。
風でゆれているのか地震で揺れているのかわからない。
みしみしいってました。
帰るときは、外壁の壁が広がっていました。
母は半壊申請をしなおすとか言っていました。
実家があるし、当然人ごとではないわけですが。
自分にできることをひとつひとつ考えていくしかないですね。
■写真は
福島県三春町の公園の桜の写真です。
滝桜が有名ですが、この時期は
駐車料金がかかるので
(福島県三春町の大切な大切な収入源です。)
この時期は滝桜近くの公園にて散策することにしています。
途中から、ですます体とごちゃ混ぜの
ブログをここまで読んでくださり、
本当にありがとうございます。
コメント・メッセージなどをお待ちしております。


キレるひと
GWを経て、やっと記事を更新する時間ができました。
■躁うつ傾向の方の中に、「キレやすい」人がいるかもしれません。
うつになったときは、じめじめしているのに、
躁になったときに「スイッチ」が入ると人を責める。
またうつになると、そのときのことを思い出して
後悔して死にたくなる。
何度か繰り返すうちに、対人恐怖症になってしまう。
そういう人はいませんでしょうか?
キレやすいひとは、対人関係が基本的にうまくいかない場合が
多いですから、いろいろ不利益が生じてきます。
その人には内緒で友人同士で遊びに行く。
ひとつの場所に居づらいので、職場を点々とする。
etc
もしこれを読んでいるあなたがそのうつの傾向があり、
かつ「キレやすい」ひとであるなら、どのように直して
いきますか、というお話をさせていただこうと思います。
自分の周囲にそういう方が居る場合も、参考になるかもと
おもいつつお話をさせていただきます。
■うつになる人は、「べき」という言葉の使用頻度が
多い場合があります。
・電車の中では携帯電話の通話は控えるべき
・年上には敬語を使うべき
などなど
キレるきっかけのひとつとして、この「べき」に反する人を
見つけたときがあるかと思います。
従うべき常識を覆したときに、キレる許可を自分に出すわけです。
これらの規範は確かに一面では正しいのかもしれません。
でもキレることで人間関係に支障をきたすのであれば、
その不利益は自分に帰ってきますし、そもそもキレるというのは
人間同士相互に尊敬すべきという人付き合いの原則に
反しているとも考えられます。
また、この「べき」によって
自分にも人にもやりたくないことを
強制させるプレッシャーを与えている
ことが多いのです。
そのプレッシャーが躁の時に爆発するわけです。
こうなると悪循環です。
これに対する対処として、話の仕方としては、
できれば~にしてほしい
~したい
といった願望を伝える形に変えることで多くの場合
避けることができます。
■もう一つ。
どうしてこのような「べき」思考にこだわるように
なったのでしょうか?
これは、一つには、自分に対する無価値感・無力感が
起因している場合があると考えます。
自分自身が価値ある人間だと思えない。
でも人間は自分の生きている意味を必要とします。
何が何でも欲しがります。
そのようなとき、自分にどのようにして意味を与えるか。
そのひとつの戦略として
「従う"べき"規範にのっとっている
自分は社会にとって有用だ」
という戦略をとっている場合があるのです。
また、この"べき"をいうことで、
「規範どおりの発言をしている
自分の発言に従うべきだ」という
状況に対するコントロール意識も働きます。
無力感も癒される(ような錯覚におちいる)わけです。
もし身近なひと、あるいはあなたにそんな傾向が
ある場合は、一旦振り返ってみてください。
いかがでしょうか?
■で、どうすればよいか、ということですが。
あなたがそういう人間だった場合の治療法の1つとして、
一人ロールプレイの方法をお伝えします。
1.自分の他に、自分を愛してくれる人を思い浮かべます。
自分の親、友人、同僚、上司などにそんな人は、いませんでしたか?
2.その自分を愛してくれている人の立場に立って想像します。
その人は、あなたのどこを愛しているのでしょうか?
3.そして、自分に戻って、その愛情を感じてください。
愛されているという感覚を感じるようにします。
ものすごくざっくりとした説明ですが、
いわば自分の伝記作家になった感じで、自分と相手とに
たっぷり感情移入してください。
肯定的な台本であれば、肯定的な結果が得られます。
効果が実感できない場合もあるかもしれません。
少しずつ、一歩一歩進んでいきたいものだとおもいます。
ここで紹介したことが原因の全てでも、治療法の全てでもありません。
質問などコメントお待ちしております!
ここまで読んでいただきまして、ありがとうございます。
■躁うつ傾向の方の中に、「キレやすい」人がいるかもしれません。
うつになったときは、じめじめしているのに、
躁になったときに「スイッチ」が入ると人を責める。
またうつになると、そのときのことを思い出して
後悔して死にたくなる。
何度か繰り返すうちに、対人恐怖症になってしまう。
そういう人はいませんでしょうか?
キレやすいひとは、対人関係が基本的にうまくいかない場合が
多いですから、いろいろ不利益が生じてきます。
その人には内緒で友人同士で遊びに行く。
ひとつの場所に居づらいので、職場を点々とする。
etc
もしこれを読んでいるあなたがそのうつの傾向があり、
かつ「キレやすい」ひとであるなら、どのように直して
いきますか、というお話をさせていただこうと思います。
自分の周囲にそういう方が居る場合も、参考になるかもと
おもいつつお話をさせていただきます。
■うつになる人は、「べき」という言葉の使用頻度が
多い場合があります。
・電車の中では携帯電話の通話は控えるべき
・年上には敬語を使うべき
などなど
キレるきっかけのひとつとして、この「べき」に反する人を
見つけたときがあるかと思います。
従うべき常識を覆したときに、キレる許可を自分に出すわけです。
これらの規範は確かに一面では正しいのかもしれません。
でもキレることで人間関係に支障をきたすのであれば、
その不利益は自分に帰ってきますし、そもそもキレるというのは
人間同士相互に尊敬すべきという人付き合いの原則に
反しているとも考えられます。
また、この「べき」によって
自分にも人にもやりたくないことを
強制させるプレッシャーを与えている
ことが多いのです。
そのプレッシャーが躁の時に爆発するわけです。
こうなると悪循環です。
これに対する対処として、話の仕方としては、
できれば~にしてほしい
~したい
といった願望を伝える形に変えることで多くの場合
避けることができます。
■もう一つ。
どうしてこのような「べき」思考にこだわるように
なったのでしょうか?
これは、一つには、自分に対する無価値感・無力感が
起因している場合があると考えます。
自分自身が価値ある人間だと思えない。
でも人間は自分の生きている意味を必要とします。
何が何でも欲しがります。
そのようなとき、自分にどのようにして意味を与えるか。
そのひとつの戦略として
「従う"べき"規範にのっとっている
自分は社会にとって有用だ」
という戦略をとっている場合があるのです。
また、この"べき"をいうことで、
「規範どおりの発言をしている
自分の発言に従うべきだ」という
状況に対するコントロール意識も働きます。
無力感も癒される(ような錯覚におちいる)わけです。
もし身近なひと、あるいはあなたにそんな傾向が
ある場合は、一旦振り返ってみてください。
いかがでしょうか?
■で、どうすればよいか、ということですが。
あなたがそういう人間だった場合の治療法の1つとして、
一人ロールプレイの方法をお伝えします。
1.自分の他に、自分を愛してくれる人を思い浮かべます。
自分の親、友人、同僚、上司などにそんな人は、いませんでしたか?
2.その自分を愛してくれている人の立場に立って想像します。
その人は、あなたのどこを愛しているのでしょうか?
3.そして、自分に戻って、その愛情を感じてください。
愛されているという感覚を感じるようにします。
ものすごくざっくりとした説明ですが、
いわば自分の伝記作家になった感じで、自分と相手とに
たっぷり感情移入してください。
肯定的な台本であれば、肯定的な結果が得られます。
効果が実感できない場合もあるかもしれません。
少しずつ、一歩一歩進んでいきたいものだとおもいます。
ここで紹介したことが原因の全てでも、治療法の全てでもありません。
質問などコメントお待ちしております!
ここまで読んでいただきまして、ありがとうございます。
自分を受け入れる2
先週書いた記事で、出そうか迷っていたのですが、
出すことにしました。
ある意味私の記念の日(内面の変化という意味で)
になりそうな気もするので、
日付もそのままにしておきます。
―――
どうしても伝えたい今日の自分の体験を。
基本的に「自分を受け入れる1」のワークと同じことをします。
ただ、今日は、人間関係について行き詰まっていたところを
何とかしたいな、とおもったので、そこに取り組むことにしました。
私が、ある人をとても憎んでいるわけです。
そのきっかけに関しての詳細は割愛します。
なんか、2回ほど怒鳴られたわけです。
相手はこちらの責任にしたいみたいですが、
自分が悪いとは思っていないため、こじれてしまっていました。
背中に彼に対する憎しみのしこりが
残っていたわけです。
今日は時間があり、いい機会だと思ったので、
その憎しみに取り組もうと思いました。
そこで、その憎しみに、
「彼に何を望んでいるのか」
と問いかけてみました。
すると、回答が帰ってきました。
・後遺症が残る怪我をしてもらう
・トラウマになる経験をしてもらう
・離婚をする
というものでした。
要するに、呪っていたわけです。
で、そんな呪いが成就したとして、それで、
彼にどうなってほしいんだろう、と
問うことにしました。
2~3分ほどして、回答が帰ってきました。
・罪悪感に苛まれて欲しい、
というものでした。
で、その呪いが成就したとして、
何を望むのか、と問いかけてみました。
やはり2~3分ほどして、回答が帰ってきました。
・彼と良好な人間関係を築きたい
というものでした。
・・・あれ?
と思いました。
「それでどうしたいのだろう」
と問いかけてみました。
しばらくして、
体の奥底から鳥肌の立つ感覚が
沸き起こってくることを感じました。
ああ。
やっと私は彼を、心の底で許すことができたのだ、
ということを感じました。
しばらく許しの感覚に身をゆだねました。
その感覚からふりかえって彼を見つめると、
両親との不幸な関係、
それを反面教師として自身はいい父親、夫であろうという決意をしたこと、
その決意に生き切ろうとすることから生じるストレス
などが見えてきました。
ちょっと今日はこれで終わりにします。
過激な表現もありますが、これはこれで大切なような
気がするので、そのままにしておきます。
ここまでありがとうございます。
出すことにしました。
ある意味私の記念の日(内面の変化という意味で)
になりそうな気もするので、
日付もそのままにしておきます。
―――
どうしても伝えたい今日の自分の体験を。
基本的に「自分を受け入れる1」のワークと同じことをします。
ただ、今日は、人間関係について行き詰まっていたところを
何とかしたいな、とおもったので、そこに取り組むことにしました。
私が、ある人をとても憎んでいるわけです。
そのきっかけに関しての詳細は割愛します。
なんか、2回ほど怒鳴られたわけです。
相手はこちらの責任にしたいみたいですが、
自分が悪いとは思っていないため、こじれてしまっていました。
背中に彼に対する憎しみのしこりが
残っていたわけです。
今日は時間があり、いい機会だと思ったので、
その憎しみに取り組もうと思いました。
そこで、その憎しみに、
「彼に何を望んでいるのか」
と問いかけてみました。
すると、回答が帰ってきました。
・後遺症が残る怪我をしてもらう
・トラウマになる経験をしてもらう
・離婚をする
というものでした。
要するに、呪っていたわけです。
で、そんな呪いが成就したとして、それで、
彼にどうなってほしいんだろう、と
問うことにしました。
2~3分ほどして、回答が帰ってきました。
・罪悪感に苛まれて欲しい、
というものでした。
で、その呪いが成就したとして、
何を望むのか、と問いかけてみました。
やはり2~3分ほどして、回答が帰ってきました。
・彼と良好な人間関係を築きたい
というものでした。
・・・あれ?
と思いました。
「それでどうしたいのだろう」
と問いかけてみました。
しばらくして、
体の奥底から鳥肌の立つ感覚が
沸き起こってくることを感じました。
ああ。
やっと私は彼を、心の底で許すことができたのだ、
ということを感じました。
しばらく許しの感覚に身をゆだねました。
その感覚からふりかえって彼を見つめると、
両親との不幸な関係、
それを反面教師として自身はいい父親、夫であろうという決意をしたこと、
その決意に生き切ろうとすることから生じるストレス
などが見えてきました。
ちょっと今日はこれで終わりにします。
過激な表現もありますが、これはこれで大切なような
気がするので、そのままにしておきます。
ここまでありがとうございます。
優位な知覚と結婚生活
今回の話は、コミュニケーションすれ違いの
一因について、です。
この内容を把握することで、「お互いに相手を大切に
思っているのに、なぜ喧嘩が絶えない関係になってしまったのか」
という疑問が解ける・・・かもしれません。
これがすれ違いの原因の全てではないとは思いますが、たいてい
どなたでも心当たりがある内容を扱っているかと思います。
さて、優位な知覚というのは、
聞いたことがない人もいらっしゃると思います。
まずこれについて説明をいたします。
五感はご存知でしょう。
●視覚
●聴覚
●触覚
●嗅覚・味覚
の五つの感覚のことですね。
(五つといいながら嗅覚と味覚が一緒になっています。
これは頭の中では一緒になっているからです。)
優位知覚というのは、これらの五感(四感)うち、
よく使われる感覚、という意味です
たとえば、あなたが社内で新サービスの
プレゼンテーションを行ったとしましょう。
それを聞いていた部長さんが
少しわかりにくいな、と感じたとします。
その部長さんが
「少し話が見えないんだけれども」というように話したら、
この人は、”仕事のプレゼンテーションを聞くときは
「視覚優位」の人かも”と判断することが
できるかもしれません。
あるいは、
「今説明した部分は少し論理が飛躍しているように
聞こえたんだけれども」
というように発言をしたら、
この人は、「聴覚優位」の人かも、と判断できるかも。
また、
「この部分がよくつかめないのだけれども」
というように話し出したら、
この方は、「触覚優位」なのかもしれません。
また、こうしてみると、「嗅覚・味覚」優位という人は、
ビジネスの場では、食品や香水の製品プレゼンテーションなど
ある程度限られてくるのかな、とか思ったりもします。
(嫌なにおいが鼻についてプレゼンどころではなかった、
という場合もあるでしょうが・・・)
触覚優位というのもわかりづらいかもしれませんが、
こういう人は、製品を触ってもらうと
何かつかめたような感覚を持って
いただけたりします。
ともかく、よく使う感覚(知覚)というものは誰でも持っているものです。
これを優位知覚といいます。
念のために言うと、優位知覚はどんな状況でも
常に固定しているとは限りません。
仕事のプレゼンテーションを聞くときは触覚優位だけれども、
家で恋人といるときは視覚優位、という人もいます。
この節は結婚生活の話ですが。
すれ違いの原因に2人の間の
「優位知覚の違い」がある場合が
あるわけです。
たとえば夫が「君は僕の話を聞いてくれない」
とか言ったとします。
それに対して奥さまが
「私はあなたの一言一句もらさず聞いているわ!」
とか憤ってしまったり。
ところがこの原因が、話をするときに2人が
目を合わせていないということだったりするわけです。
この夫は奥さまと話をするときは、
視覚を優位に働かせていて、
「目を合わせてくれない」というところから
「話を聞いてくれない」と判断してしまう。
奥さまは、話を聞くときに、聞いた内容を頭の中で
組み立てて理解しようとして
話を視覚的にイメージをするために、
視線を左上に向けてしまったりする。
・・・なんていうことが、あるのではないかな、と。
この場合、夫が奥さまに「僕の話を目を見て聞いてくれよ」
と頼んで、奥さまが夫の目を見て聞くようにしてくれるとします。
するといつもと違う聞き方に慣れていない奥さまが
夫の話の内容を理解しきれなかったりします。
「聞いてないじゃないか」
とか怒ってみたり。
「どうすればいいのよ!」
となったり、もうあきらめて、
インターネットで別の人を探し始めたり。。。。
ともかく、恋人と衝突したときは、
相手は自分とは異なった考え方をする、違う人間であることを
思い出すようにすることが、一番実際的なようです。
「あなたを愛している」・「私は愛されている」ということを
表現したり判断する方法も違っている場合があるでしょう。
奥様が触覚優位の人であれば、夫がいつもせかせかしていて、
ふれあいがないことに不満を感じることもあるかもしれません。
夫が視覚優位の場合、部屋が片付いていないことに
「自分は十分に愛されていない」と感じるのかもしれません。
この場合も、愛していて、愛されていたい、というところは
2人とも共通して持っていて、その表現が
異なっているだけだったりします。
そのお互いの違いがわかれば、
「愛してくれていない」などというように
性急な判断をしないですむわけです。
この節はここで終了です。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
一因について、です。
この内容を把握することで、「お互いに相手を大切に
思っているのに、なぜ喧嘩が絶えない関係になってしまったのか」
という疑問が解ける・・・かもしれません。
これがすれ違いの原因の全てではないとは思いますが、たいてい
どなたでも心当たりがある内容を扱っているかと思います。
さて、優位な知覚というのは、
聞いたことがない人もいらっしゃると思います。
まずこれについて説明をいたします。
五感はご存知でしょう。
●視覚
●聴覚
●触覚
●嗅覚・味覚
の五つの感覚のことですね。
(五つといいながら嗅覚と味覚が一緒になっています。
これは頭の中では一緒になっているからです。)
優位知覚というのは、これらの五感(四感)うち、
よく使われる感覚、という意味です
たとえば、あなたが社内で新サービスの
プレゼンテーションを行ったとしましょう。
それを聞いていた部長さんが
少しわかりにくいな、と感じたとします。
その部長さんが
「少し話が見えないんだけれども」というように話したら、
この人は、”仕事のプレゼンテーションを聞くときは
「視覚優位」の人かも”と判断することが
できるかもしれません。
あるいは、
「今説明した部分は少し論理が飛躍しているように
聞こえたんだけれども」
というように発言をしたら、
この人は、「聴覚優位」の人かも、と判断できるかも。
また、
「この部分がよくつかめないのだけれども」
というように話し出したら、
この方は、「触覚優位」なのかもしれません。
また、こうしてみると、「嗅覚・味覚」優位という人は、
ビジネスの場では、食品や香水の製品プレゼンテーションなど
ある程度限られてくるのかな、とか思ったりもします。
(嫌なにおいが鼻についてプレゼンどころではなかった、
という場合もあるでしょうが・・・)
触覚優位というのもわかりづらいかもしれませんが、
こういう人は、製品を触ってもらうと
何かつかめたような感覚を持って
いただけたりします。
ともかく、よく使う感覚(知覚)というものは誰でも持っているものです。
これを優位知覚といいます。
念のために言うと、優位知覚はどんな状況でも
常に固定しているとは限りません。
仕事のプレゼンテーションを聞くときは触覚優位だけれども、
家で恋人といるときは視覚優位、という人もいます。
この節は結婚生活の話ですが。
すれ違いの原因に2人の間の
「優位知覚の違い」がある場合が
あるわけです。
たとえば夫が「君は僕の話を聞いてくれない」
とか言ったとします。
それに対して奥さまが
「私はあなたの一言一句もらさず聞いているわ!」
とか憤ってしまったり。
ところがこの原因が、話をするときに2人が
目を合わせていないということだったりするわけです。
この夫は奥さまと話をするときは、
視覚を優位に働かせていて、
「目を合わせてくれない」というところから
「話を聞いてくれない」と判断してしまう。
奥さまは、話を聞くときに、聞いた内容を頭の中で
組み立てて理解しようとして
話を視覚的にイメージをするために、
視線を左上に向けてしまったりする。
・・・なんていうことが、あるのではないかな、と。
この場合、夫が奥さまに「僕の話を目を見て聞いてくれよ」
と頼んで、奥さまが夫の目を見て聞くようにしてくれるとします。
するといつもと違う聞き方に慣れていない奥さまが
夫の話の内容を理解しきれなかったりします。
「聞いてないじゃないか」
とか怒ってみたり。
「どうすればいいのよ!」
となったり、もうあきらめて、
インターネットで別の人を探し始めたり。。。。
ともかく、恋人と衝突したときは、
相手は自分とは異なった考え方をする、違う人間であることを
思い出すようにすることが、一番実際的なようです。
「あなたを愛している」・「私は愛されている」ということを
表現したり判断する方法も違っている場合があるでしょう。
奥様が触覚優位の人であれば、夫がいつもせかせかしていて、
ふれあいがないことに不満を感じることもあるかもしれません。
夫が視覚優位の場合、部屋が片付いていないことに
「自分は十分に愛されていない」と感じるのかもしれません。
この場合も、愛していて、愛されていたい、というところは
2人とも共通して持っていて、その表現が
異なっているだけだったりします。
そのお互いの違いがわかれば、
「愛してくれていない」などというように
性急な判断をしないですむわけです。
この節はここで終了です。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
動揺の原因
ときどき、感情が動揺するときが
あると思います。
自分も感情は動揺しがちです。
動揺する原因というのは、ある感情そのものというよりも、
その抱いた感情を受け入れることができているかどうか
にかかっています。
たとえば、会社でリストラを宣告されたとしましょう。
もうこの会社では必要とされていない。
この会社から、この部署から、この上司から、この仲間から
拒絶されてしまった。
やはり最初は、誰でも傷つくと思います。
この傷ついたことに対して、また次に感情を
抱くわけです。
その感情は「腹立ち」かもしれません。
こんなにがんばっているのに、なぜ認めてくれないのか。
あるいは、「恥ずかしい」と思うのかもしれません。
自分は能力が劣っているな、とか。
「悲しい」という反応をするかもしれません。
がんばったけど、認められるところまでいけなかったかな、と。
「思いやり」という反応を選択する人もいます。
がんばってきた自分に対して
ここまでよくやった、とほめてみる。
「チャンスだ」という反応を選択する人もいます。
今まで独立してやろうと思っていたことをはじめる
きっかけになる!、と解釈してみたり。
まだあると思いますが、ともかくリストラを宣告されて
「傷ついた」のあとの反応の仕方には、
いくつも選択肢が考えられるわけです。
それらの反応のそれぞれに感情が伴っています。
そして、その反応によって、その後の生活が
劇的に代わってくるのです。
で、この節は「感情の動揺」がテーマですが。
動揺する場合は、ある感情を抱いたときに、
その感情を隠そうとするときに起こるようです。
日本の男性の場合は、
特に「恥ずかしい」という感情を抱いたときに、
「弱さを見せまい」という反応をすることで
動揺しがちな気がします。
このある感情を「隠そう」という反応は、
自尊心とも関係しています。
自尊心が低いと、感情を隠そうとします。
自尊心が高いと、感情を受け入れ、尊重しようとするのです。
あなたは、「悲しい」と思ったとき、
それを尊重しようとするでしょうか。
隠そうとし、また悲しみを怖れてしまうでしょうか。
振り返ってみて、私も悲しみを隠そうとするときが
あることに気づきました。
とくに異性の前ではそういう傾向があるみたいです。
というところで、この節はここで一区切りとします。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
△△△▽▽▽△△△
「信念」「自分の受け入れに」ついて、
書き散らしてしまっていますが、
全て、完結させる予定です。
書き始めておかないと、
項目そのものがなくなってしまう可能性が
あるので、ともかく書き始めています。
読みづらくてすみません。
いずれ整理します。
あると思います。
自分も感情は動揺しがちです。
動揺する原因というのは、ある感情そのものというよりも、
その抱いた感情を受け入れることができているかどうか
にかかっています。
たとえば、会社でリストラを宣告されたとしましょう。
もうこの会社では必要とされていない。
この会社から、この部署から、この上司から、この仲間から
拒絶されてしまった。
やはり最初は、誰でも傷つくと思います。
この傷ついたことに対して、また次に感情を
抱くわけです。
その感情は「腹立ち」かもしれません。
こんなにがんばっているのに、なぜ認めてくれないのか。
あるいは、「恥ずかしい」と思うのかもしれません。
自分は能力が劣っているな、とか。
「悲しい」という反応をするかもしれません。
がんばったけど、認められるところまでいけなかったかな、と。
「思いやり」という反応を選択する人もいます。
がんばってきた自分に対して
ここまでよくやった、とほめてみる。
「チャンスだ」という反応を選択する人もいます。
今まで独立してやろうと思っていたことをはじめる
きっかけになる!、と解釈してみたり。
まだあると思いますが、ともかくリストラを宣告されて
「傷ついた」のあとの反応の仕方には、
いくつも選択肢が考えられるわけです。
それらの反応のそれぞれに感情が伴っています。
そして、その反応によって、その後の生活が
劇的に代わってくるのです。
で、この節は「感情の動揺」がテーマですが。
動揺する場合は、ある感情を抱いたときに、
その感情を隠そうとするときに起こるようです。
日本の男性の場合は、
特に「恥ずかしい」という感情を抱いたときに、
「弱さを見せまい」という反応をすることで
動揺しがちな気がします。
このある感情を「隠そう」という反応は、
自尊心とも関係しています。
自尊心が低いと、感情を隠そうとします。
自尊心が高いと、感情を受け入れ、尊重しようとするのです。
あなたは、「悲しい」と思ったとき、
それを尊重しようとするでしょうか。
隠そうとし、また悲しみを怖れてしまうでしょうか。
振り返ってみて、私も悲しみを隠そうとするときが
あることに気づきました。
とくに異性の前ではそういう傾向があるみたいです。
というところで、この節はここで一区切りとします。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
△△△▽▽▽△△△
「信念」「自分の受け入れに」ついて、
書き散らしてしまっていますが、
全て、完結させる予定です。
書き始めておかないと、
項目そのものがなくなってしまう可能性が
あるので、ともかく書き始めています。
読みづらくてすみません。
いずれ整理します。
自分を受け入れる 1
「自分を受け入れる」
だいぶ長い間この意味、あるいは
どうしたらできるのかが
わからなかったわけですが。
今心の働き方について勉強をしてきて、
少しわかったことがあるので、
あなたにお伝えしたいな・・と
どうしても克服したいと持っている
欠点を、誰でも持っていると思います。
欠点というのは、
ネガティブな反応、感情、行動
をさすと考えてください。
これをどのように受け入れるか。
私を例に挙げて説明をしようと思います。
私の場合、
「自分より能力があると思う人に対して感じる妬み」
が、ずっと気になっていたので、それを例に説明を
進めようと思います。
この妬みの気持ちは、今は特に仕事面でうまくいっている
人に対して感じます。
・この人がうらやましい
・自分も仕事の能力を上げる機会がもっと欲しかった
・自分にもかつてあった機会をもっと十分に生かして
おきたかった
とか感じています。
つぎに、「この妬みと後悔の入り混じった気持ちは、
どこから感じるだろう、どこから聞こえるだろう、
どこから見えてくるだろう」
という質問の回答を探します。
私の場合は、この質問に対しては、
感覚が優位で、「上半身の背中全体」
から感じます。
で、次に、「この妬みと後悔の入り混じった気持ちは、
何を欲しているんだろう」
考えます。
ずっと残っている気持ちです。
そこには、何か強烈な意思が
(無意識レベルで)
働いています。
その感情には自分を守る何か
肯定的な意図があったからこそいままで存在できたわけです。
その存在に感謝します。
で、私のばあい、この背中から感じる
強い「妬みと後悔」が欲しているものは
2つあると感じました。
1つは、金銭面での成功です。
もう1つは、尊敬されることです。
一つずつ考えて、感じていきます。
金銭面で成功することで一体何が
得られるのか、というと、安心感、安全の感覚、
自由の感覚がほしいのだな、と感じました。
尊敬されることで、何がほしいかというと
愛され、受け入れられている感覚が
欲しいのだなと感じました。
結局私が背中に強く感じている「妬みと後悔」が
欲しい感情は、
・安心感、安全の感覚
・自由
・愛されて、受け入れられている感覚
だ、ということがわかりました。
で、感情というのは、心の状態です。
心の状態は、別に外界に関係なく作る・・・というか、
「なる」ことができます、その感情を知っていれば、
私は、上記
・安心感、安全の感覚
・自由
・愛されて、受け入れられている感覚
は、過去に感じていた状態を思い起こすことが
できますので、その状態になることができるわけです。
で、今その状態になります。
・安心感、安全の感覚
・自由
・愛されて、受け入れられている感覚
が体に満ちてきます。
しばらくこの状態を楽しみます。
この状態で、"私が背中に強く感じている「妬みと後悔」"に
対して、質問をします。
はじめから
・安心感、安全の感覚
・自由
・愛されて、受け入れられている感覚
という状態であれば、
「金銭面で成功すること」は
どのような意味を持つのかと質問します。
・・・まだ続きます。長いので、ここで一旦区切ります。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
(「信念」については、また続きを書きます。)
信念 ~3 ~「信念」を持つ意義
「信念」がどういうものなのか
それなりにわかったところで、
なぜこういうものがあるのかについて。
ひとつには、私たちは
「自分を取り巻く世界を"秩序立てて理解"したい」
という本能的な欲求があります。
そして、その秩序から外れるものに出会うと
当惑します。
この欲求の存在については、反論は無いのでは
ないかと思うのですが。
たとえばあなたが、太らないように気をつけて、
毎日体重計にのっているとします。
残業を家に持ち帰って、夜も作業をする。
つい何か食べてしまう。
ある日体重計にのると
一週間前より
5キロ重いところに針が来ている
そうすると、
「ああ、夜に食べたからだ」
と、理由を見つけて納得します。
理由を見つけることで、
元の体重と、5キロ増えた今の体重の
変化について、因果関係という秩序が
できるわけです。
そのほかの例としてたとえば、
出社するといつも明るく挨拶をしてくれる
Aさんという人が同僚にいるとしましょう。
おはようと挨拶すると目を見てにっこり笑って
「おはようございます。今日もいい天気ですね」
とか返してくれる。
(私の願望≒妄想が入っていますが、
この際置いといてください。)
ところが、今日出社して、あなたが「おはよう」といったら
机に向かっていて目もあわせてくれない。
「あれ?Aさん、忙しいのかな」
「いままでぶっきらぼうにしていたから愛想が尽かされたのかな」
「(検閲により削除)」
とか考えるわけです。
いつもと違う反応に、因果関係を見つけて安心しようとします。
とにかく、秩序立てて理解をしたいわけです。
数学、物理学、化学など、科学の発展は、
この「世界を秩序立てて理解したい」という
強烈な願望から発展してきたといっても別に
外れではないでしょう。
で、その"世界を秩序立てて理解したい"という一方で、
人間には"認識力の限界"というものもあります。
知覚している全てを、認識することができないのです。
たとえば、今あなたは、部屋の中でこのブログを読んでくださって
いるのでしょうか?
今、耳に何が聞こえてきていますか?
私の部屋で言えば、
冷蔵庫の保冷機の音
私の貧乏ゆすりでズボンが擦れる音
外から車の通る音
風の音
列車の通る音
などが聞こえてきます。
が、私は今このブログを書くために
耳を澄ませたのでこれらの音が
聞こえていることを認識しましたが、
それまでは、気づいていませんでした。
でも、これらの音は、別に耳を済ませる前から
聞こえてはいたはずです。
(ずっと貧乏ゆすりしていましたので。。)
あなたはどうでしょう?
耳を澄ますと、聞こえる音があるでしょう?
何も聞こえない、という人も、自分の鼓動が
気になったりしませんか?
それらの音、あるいは鼓動は、
今耳を澄ましてから発生したものばかりではないでしょう。
耳を澄ましてその音があることを認識する前から
耳には聞こえていた、つまり知覚はしていたものもあるでしょう。
つまり、それらの音や鼓動は、
耳を澄ます前は
"知覚はしても、認識はしていなかった"わけです。
認識していない音、というものは、
知覚から、認識に移る際に「削除」されます。
大部分の知覚情報は削除されます。
で、信念があることで、知覚した情報の中から
何を削除し、何を認識するかという方針を
立てることができるのです。
ニーチェの言葉に
「事実というものは存在しない。
存在するのは解釈だけである。」
というものがあります。
この言葉も、これまで説明してきたことを踏まえて
少し注釈を加えますと、
「事実というものは人間には
完全には認識できないので、人間にとっては
存在しないことと同じである。
人間にとって意味あるものとして存在するものは、
事実(=知覚した全て)をから
削除を経て認識した情報を並べた解釈だけである。」
となるのかな、と思っています。
というところで、この節はここまでです。
ここまで読んでいただきまして、
本当にありがとうございます。
重複いたしますが、何か質問とか、
ご感想などがありましたら、
コメントに書いていただいたりメッセージに
いただければ天にも昇る気持ちで喜びます。
それなりにわかったところで、
なぜこういうものがあるのかについて。
ひとつには、私たちは
「自分を取り巻く世界を"秩序立てて理解"したい」
という本能的な欲求があります。
そして、その秩序から外れるものに出会うと
当惑します。
この欲求の存在については、反論は無いのでは
ないかと思うのですが。
たとえばあなたが、太らないように気をつけて、
毎日体重計にのっているとします。
残業を家に持ち帰って、夜も作業をする。
つい何か食べてしまう。
ある日体重計にのると
一週間前より
5キロ重いところに針が来ている
そうすると、
「ああ、夜に食べたからだ」
と、理由を見つけて納得します。
理由を見つけることで、
元の体重と、5キロ増えた今の体重の
変化について、因果関係という秩序が
できるわけです。
そのほかの例としてたとえば、
出社するといつも明るく挨拶をしてくれる
Aさんという人が同僚にいるとしましょう。
おはようと挨拶すると目を見てにっこり笑って
「おはようございます。今日もいい天気ですね」
とか返してくれる。
(私の願望≒妄想が入っていますが、
この際置いといてください。)
ところが、今日出社して、あなたが「おはよう」といったら
机に向かっていて目もあわせてくれない。
「あれ?Aさん、忙しいのかな」
「いままでぶっきらぼうにしていたから愛想が尽かされたのかな」
「(検閲により削除)」
とか考えるわけです。
いつもと違う反応に、因果関係を見つけて安心しようとします。
とにかく、秩序立てて理解をしたいわけです。
数学、物理学、化学など、科学の発展は、
この「世界を秩序立てて理解したい」という
強烈な願望から発展してきたといっても別に
外れではないでしょう。
で、その"世界を秩序立てて理解したい"という一方で、
人間には"認識力の限界"というものもあります。
知覚している全てを、認識することができないのです。
たとえば、今あなたは、部屋の中でこのブログを読んでくださって
いるのでしょうか?
今、耳に何が聞こえてきていますか?
私の部屋で言えば、
冷蔵庫の保冷機の音
私の貧乏ゆすりでズボンが擦れる音
外から車の通る音
風の音
列車の通る音
などが聞こえてきます。
が、私は今このブログを書くために
耳を澄ませたのでこれらの音が
聞こえていることを認識しましたが、
それまでは、気づいていませんでした。
でも、これらの音は、別に耳を済ませる前から
聞こえてはいたはずです。
(ずっと貧乏ゆすりしていましたので。。)
あなたはどうでしょう?
耳を澄ますと、聞こえる音があるでしょう?
何も聞こえない、という人も、自分の鼓動が
気になったりしませんか?
それらの音、あるいは鼓動は、
今耳を澄ましてから発生したものばかりではないでしょう。
耳を澄ましてその音があることを認識する前から
耳には聞こえていた、つまり知覚はしていたものもあるでしょう。
つまり、それらの音や鼓動は、
耳を澄ます前は
"知覚はしても、認識はしていなかった"わけです。
認識していない音、というものは、
知覚から、認識に移る際に「削除」されます。
大部分の知覚情報は削除されます。
で、信念があることで、知覚した情報の中から
何を削除し、何を認識するかという方針を
立てることができるのです。
ニーチェの言葉に
「事実というものは存在しない。
存在するのは解釈だけである。」
というものがあります。
この言葉も、これまで説明してきたことを踏まえて
少し注釈を加えますと、
「事実というものは人間には
完全には認識できないので、人間にとっては
存在しないことと同じである。
人間にとって意味あるものとして存在するものは、
事実(=知覚した全て)をから
削除を経て認識した情報を並べた解釈だけである。」
となるのかな、と思っています。
というところで、この節はここまでです。
ここまで読んでいただきまして、
本当にありがとうございます。
重複いたしますが、何か質問とか、
ご感想などがありましたら、
コメントに書いていただいたりメッセージに
いただければ天にも昇る気持ちで喜びます。
信念 ~2 ~「信念」とはなんだろう?
まず、人は必ず
信念を持っています。
これは別にかっこいい意味だけではないです。
・タバコをやめると太る
・夜に食べると太る
・穀物と抜くと痩せる
・魚は体にいい
・あの先生は、すぐ怒る
・政府は被災者の救援に全力をあげるべきだ。
・東京電力は、原子力発電所の操業を全てとめるべきだ
・あなたはもっと私に優しくするべきだ
これらは、全て、「信念」です。
信念て、何でしょうね。
・タバコをやめると太る
・夜に食べると太る
・穀物と抜くと痩せる
・魚は体にいい
これらは、
「こうするとこうなる」
という因果関係を説明するもの
であるようです。
・あの先生は、すぐ怒る
これは、何か、自分の人生に関わるものを
説明をしています。
・政府は被災者の救援に全力をあげるべきだ。
・東京電力は、原子力発電所の操業を全てとめるべきだ
・私は、勉強をするべきだ
・私は東大に合格できるに違いない
何か、期待をしているみたいです。
この信念というものは、
・こうするとこうなる
という因果関係を説明するもの
・・・未来に対する期待
・これは、こうだ
という性質を説明するもの
・・・性質に対する期待
・これは、こうするべきだ
・・・行動に対する期待
ということで、何か見えてきたように
思います。
信念というのは、全て、こうであって欲しい
という「期待」を表明しているに
過ぎないように思われます。
数学の確率の分野で「期待値」という
概念がありますが、もっとも起こりえる値
という意味です。
最も起こりえる
⇒こうである場合が多い
⇒こうであって欲しい
⇒こうであるに違いない
⇒こうであるべきだ
のような感じで、頭の中ではけっこう繋がりを感じたりします。
で、この「期待」と違う反応に出会った時に
「裏切られた」
などという感覚を持ってしまうのかも
しれません。
というところで今日は終わりです。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
何か質問とか、ご感想などがありましたら、
コメントに書いていただいたりメッセージに
いただければ天にも昇る気持ちで喜びます。
(←これも、「こんな自分でありたいな」という
自分に対する期待だったりするわけですが。)
信念を持っています。
これは別にかっこいい意味だけではないです。
・タバコをやめると太る
・夜に食べると太る
・穀物と抜くと痩せる
・魚は体にいい
・あの先生は、すぐ怒る
・政府は被災者の救援に全力をあげるべきだ。
・東京電力は、原子力発電所の操業を全てとめるべきだ
・あなたはもっと私に優しくするべきだ
これらは、全て、「信念」です。
信念て、何でしょうね。
・タバコをやめると太る
・夜に食べると太る
・穀物と抜くと痩せる
・魚は体にいい
これらは、
「こうするとこうなる」
という因果関係を説明するもの
であるようです。
・あの先生は、すぐ怒る
これは、何か、自分の人生に関わるものを
説明をしています。
・政府は被災者の救援に全力をあげるべきだ。
・東京電力は、原子力発電所の操業を全てとめるべきだ
・私は、勉強をするべきだ
・私は東大に合格できるに違いない
何か、期待をしているみたいです。
この信念というものは、
・こうするとこうなる
という因果関係を説明するもの
・・・未来に対する期待
・これは、こうだ
という性質を説明するもの
・・・性質に対する期待
・これは、こうするべきだ
・・・行動に対する期待
ということで、何か見えてきたように
思います。
信念というのは、全て、こうであって欲しい
という「期待」を表明しているに
過ぎないように思われます。
数学の確率の分野で「期待値」という
概念がありますが、もっとも起こりえる値
という意味です。
最も起こりえる
⇒こうである場合が多い
⇒こうであって欲しい
⇒こうであるに違いない
⇒こうであるべきだ
のような感じで、頭の中ではけっこう繋がりを感じたりします。
で、この「期待」と違う反応に出会った時に
「裏切られた」
などという感覚を持ってしまうのかも
しれません。
というところで今日は終わりです。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
何か質問とか、ご感想などがありましたら、
コメントに書いていただいたりメッセージに
いただければ天にも昇る気持ちで喜びます。
(←これも、「こんな自分でありたいな」という
自分に対する期待だったりするわけですが。)
信念の形成過程について その1
自分自身や、自分の人生に対する
ネガティブな信念は
どのような過程を経て自分自身の
心の中に形成されるのか
私自身も、基本的にものすごく
ネガティブな考え方をする人間です。
ちょっと仕事で失敗すると
「やっぱり自分にこの仕事は向いていない…」
「もうくびになってしまうかも。。。
くびになるくらいなら自分から辞めてやろう」
話している相手と、受け答えがうまく
いかなくなって、「なんか自分空気読めてないな」
とか思うと、
「自分はやはり愛される資格の無い人間だ」
「あの人と話をしているときもそうだった。最後に
結局気まずくなった。私はいつも人に嫌われる態度を
とってしまう。。。」
ちょっと相手が気に障ることを言うと
「彼(彼女)は自分のことをまったく理解してくれない。
「彼の態度はいつも人を理解しようともしていない!」
とか考えていました。
今でも少し油断すると
そんなことを考えてしまいます。
ネガティブな人は、たいていネガティブな
人生観あるいは「信念」を持っています。
上記の例は、全て信念と言ってよいでしょう。
この信念が、どのような形成過程を
経てできるのか。
どのように人生に影響するのか。
信念を変更できるとしたら、
どのような方法が考えられるのか。
それをちょっと考えていきたいと思います。
・・・今日は「序」ということでここで終わりです。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
ネガティブな信念は
どのような過程を経て自分自身の
心の中に形成されるのか
私自身も、基本的にものすごく
ネガティブな考え方をする人間です。
ちょっと仕事で失敗すると
「やっぱり自分にこの仕事は向いていない…」
「もうくびになってしまうかも。。。
くびになるくらいなら自分から辞めてやろう」
話している相手と、受け答えがうまく
いかなくなって、「なんか自分空気読めてないな」
とか思うと、
「自分はやはり愛される資格の無い人間だ」
「あの人と話をしているときもそうだった。最後に
結局気まずくなった。私はいつも人に嫌われる態度を
とってしまう。。。」
ちょっと相手が気に障ることを言うと
「彼(彼女)は自分のことをまったく理解してくれない。
「彼の態度はいつも人を理解しようともしていない!」
とか考えていました。
今でも少し油断すると
そんなことを考えてしまいます。
ネガティブな人は、たいていネガティブな
人生観あるいは「信念」を持っています。
上記の例は、全て信念と言ってよいでしょう。
この信念が、どのような形成過程を
経てできるのか。
どのように人生に影響するのか。
信念を変更できるとしたら、
どのような方法が考えられるのか。
それをちょっと考えていきたいと思います。
・・・今日は「序」ということでここで終わりです。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。