ひとつの固有名詞から思い出す次の固有名詞。

結果として昨夜から大貫妙子だ。


80年代、高校生時代に聞いていたあたりは、
思い出して聴くと、あの頃の自分が蘇る。


瑞々しい…。


でも、自分で言うのもへんだけど、
こころはそんなに変わっちゃいない。


黒のクレールのうつくしさと、
夏に恋する女たちの夢幻感に、
昨夜からそのまま夢だ。


思い立ったら、ふと聴ける、YouTubeのある世界はありがたい。
でも、アーティストが飢えたら大変だから、
ちゃんと恩恵の還元をしなくてはね。
ばたばたしてる間に、このブログも6周年を迎えていましたいぇーい。
ここから、この場所からはじまったことも、たくさんあります。


時々余所を徘徊するけれど、
きっとかならずここに戻ってくる。


もうここにおいでのかたは少ないかもしれないし、
別の場所でのご縁の方が濃厚になった方もおいでだし、
だから、この感謝はお目に留まらないかもしれませんが、
わたしは深く感謝しております。

これからも、まだ、先に行く。

どこにたどり着くかわからないけど、
多分、こころの赴くままに。

それがわたしなのではないかと。


エモーショナルなことまでTwitterに流すのはなんだか違う。

なぜだか200人以上もいるらしい、顔も知らぬフォロワーさんたちに。


いや、話したい相手はたくさんいるのさ。


でも、別に、かまってちゃんをやりたいわけじゃないからね。

届かせたいところに確実に届けばいいのだけど、

まあ、それは、そうだったらラッキーってことで。


言葉で伝えても、くちびるから出た瞬間に、

言葉は誤読される運命にあるから。


伝えた、って満足感?

それはまるでマスターベーションに似てるわ。


ひとり遊びに耽溺していく……。

愚者は楽園の夢を見る。-201011301445000.jpg

お久しぶりです。

覚えていらして?

生きてます笑。

こっちのわたしもね。


さて。

三島由紀夫に「音楽」という作品がある。

兄への許されぬ思いを無意識に抑圧した女性が、結果的に音楽だけ聞こえなくなっていた、というお話だったような。

間違っていたらごめんなさい。
ずいぶん昔に読んだきりだから。

かえりみてわたくし。

ここのところ音楽がこころを満たし。満たし。

ということは、わたくしのなかで何らかの抑圧が解けてきているのかしら。

そういう解釈も我ながら愉しい。

甘く解けたいね。
一部コンテンツの御引越をいたします。

ここには、感情の澱や、
いままでの葛藤を書きすぎました。

それはそれ、これはこれ。
でもね、見たくない人はそんなもの見たくないの。

なので、誰に見せても平気な?ものは
別のブログに移します。


きっとね、書くことは続けて行くと思うの。
それがわたしの輪郭を確かにしたし、
これからもわたしを作ってゆく。


http://ameblo.jp/sararisararisarari/


よかったらご贔屓におねがいします。
澤地久江の特集と、二重被爆者、山口彊氏のドキュメンタリーと、長崎で被爆した高等女学校の生徒たちのその後を追うドキュメンタリー。

山口彊氏の話は、NHKスペシャルか何かで見た覚えがある。
しかし、一時間半の長丁場の番組は、45分の番組では書ききれない部分をちゃんと表現する。
語り部の活動をしながら、それでもなお今も涙ぐむ山口氏は、あまりにも純粋な方で、
そんな方にそんな十字架を背負わせたというのは、どういうことかと思った。
その感受性が、我々の心をきっと打つのだろうけれども。

長崎のドキュメンタリーは、林京子さんのライフヒストリーがひとつの柱にもなっていた。
林京子さんの作品は読んでいない。
今度手に取ろうと思った。

それにしても。
こういうドキュメンタリーを作らせると、NHKは底力があるなあ、と感じる。
企画力も、制作力も。
そして1時間半の番組にして、放送できるという放送局全体の力はやはり断トツだ。

いろいろ毀誉褒貶あるわけだが、これからも骨太のドキュメンタリーを作ってほしいと思う。
例によって例のごとく8月だ。
相変わらずドキュメンタリーを見ている。

一昨日の「玉砕」
昨日の「色つきの悪夢」

両方、NHKのドキュメンタリー。
良質なものと思ったが、かなり衝撃的な映像も多々あったと感じた。

そして今日、戦争ポルノ、という言葉を知る。
これは、戦争で被害を受けた人々の残虐な映像や画像、特にイラク戦争からこっちのものを言うのだと言うが、
そこにある種のフェティシズムと、戦争を扇情的に消費している事実を持って

「戦争」「ポルノ」

と称するのであろう。


それはなんとも見事な命名だと思う。
時折わたしも、実はわたしもそんなフェティシズムに支配されていることがある。
それは否定しない。
「無限廻廊」を閲覧したことだってある。

戦争というものに目を背けないでいようとする努力が、
どこかでポルノグラフィーを消費するまなざしになっていないか、
自己検証する必要があるのかもしれない、と。

何事かイベントが予定されると、
女たちはみんなクローゼットをのぞき込み、
そして叫ぶのです。

「着ていく服が無い!」


うそつけ。


いや、あるんですこんなにあるんですてんこもりにあるんです。
今年買った服去年買った服どうかすりゃ10年選手の服だってあるんです。

でも、10日後の同窓会に着ていく服が無いんです。



ちょっと遠出だから靴はこれにしよう。
そしてこの季節だから…あれ?そしたら合わせるバッグがないんです。


うそつけ。


いや嘘じゃない。
バッグはいいのがない。


今日、用事ついでにお洋服を眺めてたんです。
上品系ワンピを。

えーーーーー。
レプユニより高いーーーーーー。←何か基準がおかしい。

でもやっぱ同窓会となると上品系ワンピですよね。
そうなると今度は靴が。
ああ、そうなるとバッグが。

ああ、ああ、ああ!


着ていく服が無い!


うーそーつーけーーーー!!!


もう、大宮戦の後の祝勝会の時のシフォンワンピを、
下にキャミ合わせて着ちゃおうかな、などと。
あれ気に行ってるけど個性派に見えちゃうんですよね。
年月を経て、落ち着いたきちんと系の女性に成長したところを
同級の皆さまにお見せしたいと思ってるんだけど。

それと、とっても暑くなったらイヤだなーって。
夏にもお出かけがあるんで、それに向けてひとつ新調しちゃおうか。
ああ、そうするとバッグが、靴が。

ああ、シフォンワンピでもバッグが。
新幹線で往復4時間以上。
道中読む本が入らなければ。


ああ、ああ、ああ!
あんなハンドが、W杯の試合なのに二試合続けて起きちゃうことにびっくり。
今日は日本戦。
驚きの?番狂わせが起きてくれるとやはり嬉しいね。


さて。



雨は夜更け過ぎに雪へと変わるだろう♪な曲がめったやたら流行ったせいで
(あらこの曲も雨降ってるわ)、
ちょっと前に山下達郎は冬の季語になったらしいが、

わたしはそうは思わない。


雨が降ったら山下達郎だろう?

「Rainyday」の抒情あふれるメロディーと甘ったるい歌詞
(そして透明感あふれるアレンジメント!)、
「2000tの雨」での、瞼の裏に浮かんでくる雨に煙る街並の清潔感、
どうしても外にでなくちゃならない時には「RainyWalk」。
はっぴいえんど時代の「雨はてのひらにいっぱい」。

聴きたくなりませんか。

山下達郎は梅雨にもいいのだよ。

あ、夏にもいいか。
晩夏にもよい。

つるべ落としのあーきのはじまりー♪

このひとの独特の粘りのある湿度の高い声も、
温帯湿潤気候であるところの日本の四季折々に良く合うと思うな。
「高気圧ガール」ですら、サンタモニカのあの爽やかさなどカケラもない。


ただ、たまに論理性の破綻した歌詞が気に障る。
主語は誰だよ、的な。
MJQなど聴きながら、布ナプキンを縫う優雅な午後なのでありますよ。
昼寝をしとかねば南アフリカvsメキシコの途中で眠くなりそうだけど。

布ナプキンを縫うという優雅な行為を、ぜひTwitterでつぶやきたいのだけど、
サッカークラスタのなかでレディーな話題は出しにくいのであるよ。