真理の奥にあるものと性同一性障害者の人生の答え | *だめにっき*

*だめにっき*

書いてる人は「風太(ふうた)」と言います。
男性名ですが、
本当は女性になりたい、体は男のMTFです。
女にはならない(なれない)ですけど。

そんな"ダメ"人間の、
なんとか趣味を見つけて
趣味に生きようとする"日記"です。
ちょっとゲームの
"ゆめにっき"を意識w

真理の奥にあるもの。
それは無です。
何も無い。
でもその意味するところはある。
真理の奥に答えとして何も無いからこそ、
生きている生きとし生けるものの命、愛、友情などが
大事ということ。
(かつての友人が言ってたことは当たってた。)

でも私は思うの。
生まれながらに愛や友情が当てにできないから、
それを幼少の頃からわかっていたから
真理を目指したのにそれが愛や友情に回帰するなんて
それは結局、性同一性障害者にとって生は絶望ってことじゃん。
たとえ世界の答えが愛や友情でも
それらを大切にしない訳じゃないけど、
私はそれをメインに生きたくない。
私を大切にしない世界をなぜ私が大切にする必要があるの!?
(ホリックの雨童女っぽい言葉w 何年前の話?w)

ではどうすれば良いか?
一番奥には答えとして無と愛と友情がある。
一番奥にはね。
途中の他の道になら、何か救いになるものがあるかもしれない。
それを探そうと思います。
だから性同一性障害者は奥(すべての根本)まで行っちゃダメ。
途中に落ちてる真理でないものが人生の答えになる。

ということは、一見、無駄で無意味と思われるものが

性同一性障害者の人生にとって

大きく有意義に作用するということになる。