2024・7月京都回想記⑮〜東福寺塔頭芬陀院 | 菊蔵の「旅は京都、さらなり」(旅と歴史ブログ)

2024・7月京都回想記⑮〜東福寺塔頭芬陀院

ちょっとばかり忙しかったので 3日ほど更新が滞りました😅。

今回は7月京都回想記最終回になります。
 
東福寺塔頭同聚院参拝後、光明院が芬陀院か迷ったすえ訪れたのは
 

 
東福寺塔頭   芬陀院
 

 
京都市駒札
 
芬陀院の駒札は正面から撮るなら望遠じゃないと撮れません😓。
 
 
芬陀院
 
東山区本町にある臨済宗東福寺の塔頭。中門の東に位置。正しくは芬陀梨華院。雪舟寺ともいう。本尊阿弥陀如来。元亨年間(1321〜24)関白一条経通が父内経の菩提を弔うため創立。開山は定山祖禅。火災などで次第に衰退するが、元禄年間(1688〜1704)一条兼輝が再興。現在の建物は宝暦五年(1755)の火災後、恭礼門院の旧殿を賜って移築したもの。庭園は方丈前の南庭と東庭からなり、寛正年間(1460〜66)雪舟等楊作とも伝える。南庭は苔地の中に鶴島と亀島の石組があり、鶴島は文化年間(1804〜18)墓地拡張で壊されたものを昭和十四年に復原、あわせて東庭は鶴亀石組の枯山水となった。一条昭良好みの茶室図南亭があり、勾玉の手水鉢と屑屋型石灯籠を置く。
 
 
『京都大事典』(佐和隆研・奈良本辰也・吉田光邦ほか 淡交社 昭和五十九年)
 
『京都大事典』では屑屋型石灯籠とありますが、芬陀院では崩屋灯籠としています。また、昭和十四年の復原は重森三玲氏により、その際に東庭を新たに手掛けています。
 
 
 いつも期待する玄関までのアプローチ。
 
 
 庫裏(玄関)
 
 
 方丈南庭
 

 
庭園の特色としては、亀島を中心に構成されています。
 
どれが亀島か一目瞭然ですね。亀島の上にある石は夜な夜な亀が這っているので雪舟が置いたら動かなくなったそうです🤭。
 

 

南庭の手水鉢 

 

 
方丈東庭と図南亭
 
鶴亀、亀島の見分けがつかない😥。

図南亭は宝暦の大火で焼失しますが、昭和四十四年の一条昭良(恵観)三百年忌法要にて復元。これを機に「恵観堂」とも称することになりました。一部に恵観堂とあるのはその為です🤓。
 

 
お約束の額縁庭園😆
 
今回南庭は良い画像が無かったから、載せれません🥺。
 

 
勾玉の手水鉢と崩屋型灯籠
 

 
 図南亭から東庭
 
京都回想記は今回で終了ですが、次回から未公開画像を数回🆙します😊。
 
 
新たな情報もありますよ😳。