2024春・京都回想記⑫〜建部大社1 | 菊蔵の「旅は京都、さらなり」(旅と歴史ブログ)

2024春・京都回想記⑫〜建部大社1

 瀬田の唐橋から大津市神領。
 
 

 
近江國一之宮建部大社
 

 
参道
 

 
左側に二之鳥居
 

 
 由緒板
 

 
 二之鳥居から神門までの参道には、様々な説明板があります。
建部大社の祭典といえば、納涼船幸祭。祭神日本武尊の故事に基づいた盛大な祭典です。

画像を拡大してみてね🤗。
 

 
持っていたら貴重な日本武尊の千圓札。1945年8月17日に発行された日本最初の千円札。表は日本武尊、裏に建部大社が描かれています😳。

1946年3月2日に通用停止されているため、製造枚数が810万枚と少なく、貴重な紙幣として高値で取引されています😃。
 
日本武尊をそのまま数年通用させていれば、チ−5号事件やチ-37号事件は起こらなかったかもしれない😆。
 

 
日本武尊の物語が紹介されているギャラリー。
 
静岡県には焼津、草薙など、日本武尊縁の地名があるから、西征から白鳥伝説までよく知った話が描かれています🤓。
 

 
建部大社のあゆみ
 

 
神門
 
建部大社由緒
 
当社は古来、建部大社、建部大明神などと称え、延喜式内名神大社に列し、又近江国の一之宮てして朝野の崇敬篤く、長い歴史と由緒を持つ全国屈指の古社です。
御祭神、日本武尊は御年僅に16才にて熊襲を誅し、更に東夷を平定され、遂に32才にして伊勢の能褒野において崩御されましたが、父君景行天皇は尊の永逝をいたく歎かれ、御名代として建部を定め、その功名を伝えられました(日本書紀にしるされている)これが即ち建部の起源です。
 
景行天皇の46年、神勅により御妃布多遅比売命(ふたじひめのみこと)(父は近江安国造)が、御子稲依別王(いなよりわけのみこ)と共に住まわれていた神崎郡建部の郷(御名代の地)に尊の神霊を奉斎されたのが当社の草創であって、その後天武天皇白鳳4年(675年)、当時近江国府の所在地であった瀬田の地に迂祀し、近江一宮として崇め奉ったのが現在の当大社です。
 

 
拝殿
 

 
本殿
 
御祭神
 
本殿:日本武尊
権殿:大己貴命
 
 

 
摂社・末社(本殿東)
 
手前から箭取神社、弓取神社、若宮神社、藤宮神社。
 

 
婚儀殿と摂社・末社(本殿西)  
 
手前から蔵人頭神社、行事神社、大政所神社、聖宮神社。
 

 
願い石
 
お食い初め石
 

 
本殿裏からお参りする菊花石
 
見たら感動します。
 
画像からその凄さが分かるでしょう😊。
 
 

 
こちらも本殿裏からお参りするさざれ石
 
 
つづく〜
 

 

 
 
 参考 建部大社公式ホームページ