京都画像クイズNo.211の答え | 菊蔵の「旅は京都、さらなり」(旅と歴史ブログ)

京都画像クイズNo.211の答え

蔵出し京都画像〜京都画像クイズNo.211は人物問題でした。

 

個人的にはヒント画像も何処の石碑か分からないから難問と思っていました😁。 

 

難問と思っていたのに、多くの解答が寄せられまして、皆さん正解でした😳。

 

 

 

しかも、①枚目で分かったというか、それしか浮かばないとコメントされた猛者もおりました。
 
普通、橘行平やろ😡😆
 
それでは画像解説と正解です。

 

 

 

平等寺因幡堂

 

元は橘行平邸。

 

因幡堂はある時代南門が閉ざされていました😱。

 

 

 不明門通

 

門が閉ざされていたため、正面南の通は不明門通と呼ばれました。閉ざされていた理由は、さる高貴な方が南の東五条院に住まわれ、因幡堂が遠慮して開なかったことによります🤓。

 

承安元年(1171)、因幡堂はその高貴な方から平等寺と命名され、勅額を賜りました🤗。

 

②枚目の画像

 

 

この画像だけでも難しいはずなのに、皆さん凄いなぁ😮‍💨。


この画像は

 

 

高倉天皇後清閑寺陵



それでは正解です

 

 

高倉天皇

 

が正解でした😊。

 

③枚目のヒント画像

 

 

一筋に

雲ゐを恋ふる琴の音に

ひかれて来にけん

望月の袖

 

この石碑は画像クイズNo.100でも使いましたね😆。この歌が刻まれている石碑は、実は皆さん素通りする石碑になります。

 

右手に回ると

 

 

 琴きゝ橋跡碑

 

 高倉天皇に寵愛された小督局。


平清盛の逆鱗にふれ、自ら身を隠し嵯峨野で隠棲していましたが、天皇の命を受けた源仲国が亀山あたりで琴の音を聞いて、それを頼りに住まいを探しだされました。


意外とスルーされる石碑なのに、皆さんよくご存知ですね🥺。

 

 

不明門通は、「あけずもん」、「あけず」の二つの読み方があります。史料的にはどちらも正解です。

 

 

菊ちゃんはどこで覚えたのか、ずっと「あけず」と言ってます😎。