お彼岸の起源〜桓武天皇の遺言
今日から26日まで秋のお彼岸です。
お彼岸で菊蔵といえば、その起源。過去何回かブログでアップしていますが、久しぶりにお彼岸(彼岸会)について書きましょう🤓。
彼岸会は春分と秋分を中日として前後3日間、計7日間寺やお墓をお参りする日本独特の行事🤔。
聖徳太子の時代に始まったといわれているが、平安時代初期から行われ、江戸時代に庶民に広がった。
『面白いほどよくわかる日本の宗教』(監修山折哲雄 著田中治郎 日本文芸社 平成十七年)
面白いほどよくわかるシリーズで、面白くよくわかることはありませんが😭(自分だけだと思ったら、東大の偉い先生も同じこと書いてた😁)、この本は、一般に手に入りやすい中でわかりやすい部類に入るでしょう。
さて、御霊研究家としては、この書に付け加えて欲しいのは、大同元年(806)の桓武天皇の遺言の一つ
奉為崇道天皇、令諸国国分寺僧春秋ニ仲月別七日、読金剛般若経
『日本後紀』延暦二十五年(大同元年)三月十七日条
崇道天皇のために、諸国の国分寺の僧侶らに春秋の二回七日間、金剛般若経を読ませるというもの。
この遺言が民間に浸透し、彼岸会の起源になったと多くの研究者が指摘しています。図書館にある殆どの神道事典や宗教事典には書かれています。
桓武天皇崩御の時、しばしば呼ばれていたのが五百枝王。
臣籍降下して春原朝臣五百枝になり、そのご子孫が現在、宮司として崇道天皇以下御霊をお祀りしています。
上御霊神社
小栗栖宮司の家系は遡れば五百枝王が初代となります。
さらに
藤森神社
崇道天皇が祀られている藤森神社。藤森家が宮司を勤めており、藤森家も遡れば五百枝王とされます(『日本の怨霊』大森亮尚 平凡社 2007年)。
小栗栖宮司はお話して間違いないことを確認しています。藤森宮司は確か親戚関係があるとおっしゃれた記憶があるから、ほぼ間違いないでしょう。
元は御霊さんと知っていても、お墓参りには行ってしまうんだな😊。