2022・11月京都回想記~八瀬天満宮社 | 菊蔵の「旅は京都、さらなり」(旅と歴史ブログ)

2022・11月京都回想記~八瀬天満宮社

 

八瀬散策で最後に参拝したのは

 

 

 八瀬天満宮社

 

 

京都市駒札

 

八瀬天満宮社

 

 祭神として菅原道真(845〜903)を祀る。

 道真が亡くなった後、師である叡山法性坊阿闍梨尊意(866〜940)の勧請により建立されたと伝えられ、社殿の背面扉の内側には、十一面観音絵像が祀られている。十一面観音は道真の本地仏(仏としての姿)である。

 道真が若い時、自己研鑽のため比叡山へ通う折り、此の地で休息したといわれ、江戸時代まで「矢背天神宮」とも呼ばれたこの辺りの風情は、壬申の乱(672)の際、此の地矢傷を癒した天武天皇以来の歴史を偲ぶことができる。

 天満宮社には九つの摂社が祀られ、本殿南側の秋元神社は、宝永七年(1710)比叡山との境界論争勃発の際、八瀬村の利権(租税の免除)を認めた裁決の報恩として、時の幕府老中で、この訴訟の担当者であった秋元但馬守喬知を祀り、以来毎年「赦免地踊り」が奉納されている。

 また裏山中腹には、足利尊氏に追われた比叡山へ逃れた後醍醐天皇の行在所(天皇が外出した時の仮の御所)があった「御所谷」、境内には、「後醍醐天皇御旧跡」、「復租紀恩碑」、「皇后陛下御歌碑」、「弁慶背比べ石」、「菅公腰掛け石」等の史蹟がある。

天満宮社の例祭は五月五日。

 秋元神社の例祭「赦免地踊り」(八瀬郷土文化保存会執行)は十月体育の日の前日夜に実施される。

 

京都市

 

 

 

八瀬の観光マップ

 

叡山電鉄八瀬駅からかれこれ2㌔ぐらい歩いて来たわけですな🤔。

 

 

 

美智子上皇后御歌歌碑

 

大君の 御幸 祝ふと八瀬童子 踊りくれたり 月若き夜に

 

平成十六年八月二十一日、天皇皇后両陛下が京都御所の前庭で赦免地踊りをご覧になり、その時に詠まれた御歌の碑になります。

 

平成十七年に社団法人八瀬童子会によって建立。

 

八瀬童子

 

洛北八瀬の村人の称。古来、禁裏参内の特権を有し、天皇の行幸・還幸などの際に輿をかつぐ駕輿丁をつとめた。南北朝期、後醍醐天皇の比叡山潜幸に八瀬の十三軒が弓矢をもって従い、その功により年貢諸役を免除されたのに始まるという。以来、朝廷との関係深く、近代に入っても天皇の即位大礼には賢所の御羽車、大喪礼には葱華輦をかつぐこととされている。

 

『京都大事典』(佐和隆研・奈良本辰也・吉田光邦ほか 淡交社 昭和五十九年)

 

八瀬と皇室と関係は南北朝期まで遡ります。

 

 

一ノ鳥居から山裾までつづく長い参道。

 

参道と言っても周りは田園風景が広がり、農道としても利用されています☺️。

 

 

弁慶の背比べ石

 

手前の石に六尺三寸二分とあります。192㌢㍍ぐらいでしょうか。並んでみたらそれほどあるとは感じなかったです🥺。

 

故アントニオ猪木さんが公称191㌢だったから、猪木さんのほうが高い(でかい)印象があったぞ🤭。

 

 

本殿までの石段

 

 

ニノ鳥居

 

 

手水

 

 

本殿

 

天満宮社と知らずに参拝したら、裏山が御神体と思ってしまいます。 

 

 

本殿北の摂社 

 

手前から若宮社、六所社、白井社

 

 

 本殿南の摂社

 

手前から八幡社、秋元神社、幸ノ神社

 

 

秋元神社

 

詳細は京都市駒札の赤文字をご覧ください🤓。

 

 

左 山王社・八王子社 

右 十禅師社

 

 

後醍醐天皇御旧跡

 

 

 石仏群

 

 

 臥牛像

 

ここでもナデナデ😊

 

 

貴船、岩上、白髭社が合祀されたお社。本殿周辺ではなく、ニノ鳥居、社務所隣にありました。

 

 

 社務所


樹木の間から光が差し込み幻想的な空間を演出してくれました。

 

 

さらに、参道石段と本殿の配置が絶妙で、帰り際しばし見とれてしまいましたよ☺️。

 

 

 すぐ近くのバス停からバスに乗って移動。

 

さて、どこで降りたかな😄。