2022・11月京都回想記~瑞光院・琵琶湖疏水・安祥寺 | 菊蔵の「旅は京都、さらなり」(旅と歴史ブログ)

2022・11月京都回想記~瑞光院・琵琶湖疏水・安祥寺

 JR山科駅から山科聖天双林院へ向かう途中

 

 

瑞光院の前を通ります。

 

毎回ここから画像を撮るのみですが、今回はいつも違い毘沙門堂から琵琶湖疏水へ向かう途中、門が開いていました。

 

 

紫雲山 瑞光院

 

 

瑞光院

 

山科区安朱堂ノ後町にある臨済宗大徳寺派の寺。紫雲山と号す。もと上京区堀川頭今宮御旅所下ル瑞光院前町にあった。江戸初期、浅野長政の別荘を山崎家盛が寺院に改め、のち赤穂藩主浅野内匠頭長矩が夫人瑤泉院の縁故で檀家となった。松の廊下の事件で長矩が切腹すると供養塔をつくって弔い、元禄十五年(1702) 討入り後は四十七の遺髪を得て塚に埋葬、墓をつくり供養した。昭和三十七年現在地へ移転。

 

縁起にある上京区瑞光院前町には、瑞光院跡の説明板と遺髪塔があります。

 

 

 

 

堀川通沿い、現SCREENセミコンダクターソリューションズ本社東になります。

 

 

京都市駒札 

 

 

浅野稲荷 

 

 

浅野稲荷

 

 往古、朝野宿祢魚養なる公家、清和天皇(第五十六代在位858〜876)の後産(出産時に出る胎児を包む膜)を埋め社を建て、朝野稲荷とした。

その後、浅野長政はこの社の地に下屋敷を建て、朝野稲荷を浅野稲荷と読み替えて鎮守とした。

 慶長十八年この長政の屋敷跡に瑞光院を建立さ浅野稲荷も境内に祀り、現在に至る。御祀神は、吒枳尼尊天(ダキニソンテン)で弘法大師作。安産祈願に参る人が多い。

 

 

初めて境内に入り、お参りさせていただきました🙏。

 

それから琵琶湖疏水へ

 

 

 

琵琶湖疏水

 

 

疏水沿いの散策路を歩いたのは10年ぶりです。

 

少し歩くと、平安時代初期のスーパー寺院・安祥寺の伽藍が少し見えてきました。

 

 

 

吉祥山宝塔院 安祥寺

 

 

本堂(観音堂)

 

 

安祥寺

 

山科区御陵平林町にある高野山古義真言宗の別格本山。吉祥山と号す。本尊十一面観音。もとは門跡寺院。東密野沢十二流の随一、安祥寺流の発祥地。創建は嘉祥元年(848)八月、開基は入唐沙門恵運、本願主は仁明天皇皇后藤原順子。その後皇室から広大な寺領田園を寄進され貞観(859〜77)末頃には山上山下に大伽藍をつくり、塔頭七百余を数え、寺域は鏡山陵以東、山科一帯に広がっていた。十一世宗意は勧修寺厳覚の高弟で安祥寺流を樹立した。宗意の弟子実厳は治承年間(1177〜81)に隠居所として西安祥寺を創建して当流を広めたが、平安末期頃、勧修寺長吏が安祥寺の寺務を兼ね、寺領の実権を掌握するに及んで寺運は衰え、戦国期には荒廃し、以後高野山宝性院に属した。明治三年独立。五智如来坐像五体は国宝。本尊木造十一面観音菩薩立像は重要文化財。

 

2022年11月19日(土)〜11月27日(日)の期間、日中、夜間それぞれ秋の特別拝観が行われます。

 

期間内であれば拝観していましたね。ちょっと残念です。

 

 

その後も疏水沿いを歩いて

 

 

展望台

 

歩いている間はあまり気にしなかったけど、こうして山科の町を眺めると高低差に驚きます。

 

 

琵琶湖疏水から旧東海道へ

 

 

つづく〜

 

 

 

参考

 

『京都大事典』(佐和隆研・奈良本辰也・吉田光邦ほか 淡交社 昭和五十九年)

 

安祥寺ホームページ