古典文学と京都62〜源氏物語より(梨木神社) | 菊蔵の「旅は京都、さらなり」(旅と歴史ブログ)

古典文学と京都62〜源氏物語より(梨木神社)

 
『源氏物語』花散里より一部抜粋
 
 かの本意の所は、おぼしやりつるもしるく、人目なく静かにておはする有様を見給ふも、いとあはれなり。先づ女御の御方にて、昔の御物語など聞こえ給ふに、夜更けにけり。二十日の月さし出づるほどに、いとど木高き影ども木暗く見え渡りて、近き橘の薫り懐かしく匂ひて、女御の御気配、ねびにたれど、あくまで用意あり、あてにらうたげなり。「すぐれて華やかなる御おぼえこそなかりしかど、むつまじう懐かしき方におぼしたりしものを」など思ひ出てきこえ給ふにつけても、昔の事がきつらねおぼされて、うち泣き給ふ。
 
 麗景殿の女御の住まいは、想像していたとおり人影もなくひっそりしている。
女御の部屋で源氏は昔を懐かしみ故桐壺院の思い出話をしているうちに夜が更けてしまった。
ちょうど二十日の月が昇る頃で、高い木立の影がいっそう暗く見渡せれ、近くから橘の香が懐かしく匂ってきた。女御は年をとったが心遣いは細やかで気品のある美人だ。「特別なご寵愛はなかったが、桐壺院が心の和む優しい方だと認めていたのに」などと、昔のことが次々と思い出されて、源氏は思わず涙をこぼした。
 
 参考
 
『源氏物語』(角川書店 平成十三年)
 
「古典文学と京都」ブログ。今回は『源氏物語』「花散里」からです。
花散里は『源氏物語』では良妻賢母の女性として描かれています。逢瀬を持ったものの、それを超越した関係で、心から信頼していたようです。
息子・夕霧の養母となり、後に玉鬘の世話を引き受けています😊。
 
菊ちゃん一推しの女性ですな😆
 
 
ですが、今回は妹・花散里に押されて影がちょいと薄い、姉「麗景殿の女御」にスポットを当ててみました🧐。
 
 
 
 
 女御の住んでいた麗景殿は光源氏を目の敵にする弘徽殿女御と常寧殿を挟んで東と西に位置します。おそらく「やんごとなき」出の女性ですが、子に恵まれず、父を早くに亡くしていたことから桐壺院亡き後、光源氏が後見をしています。
 
内裏図を見ると、光源氏の母・桐壺更衣が帝の元に通う時は麗景殿を通らなければなりません。桐壺更衣は「女御、更衣あまた候ひ給ひける」人達に妬まれ、蔑まれていましたが、後年の信頼関係から、麗景殿女御はそのようなことをしなかったのでしょう。また、弘徽殿女御からしたら最大のライバルは麗景殿女御だったわけだから、光源氏と境遇が似ていたということもありますね😢。
 
 
 さて、文中の麗景殿女御は中川辺に住んでいます。
 
中川って?
 
 
参考 京都市考古資料館
 
現在の寺町通西を流れていた川になり、地図上の青の点線になります。麗景殿の中川の家候補地は廬山寺のほぼお向いさん。この辺は空蝉や末摘花の邸宅候補地もあり、紫式部は自宅周辺を物語に取り入れているようですね。
 
その中川の家候補地に鎮座しているのが
 
 
 梨木神社
 
明治維新に貢献した三条実万、実美父子を祭神とした神社。
 
萩、染井に加えて、麗景殿女御中川邸候補地と頭に入れておくだけで、人生豊かになるで🤗。