2022冬 京都回想記~源氏物語ゆかりの地をゆく | 菊蔵の「旅は京都、さらなり」(旅と歴史ブログ)

2022冬 京都回想記~源氏物語ゆかりの地をゆく

大徳寺塔頭大光院拝観後は、予定通り「源氏物語ゆかりの地」説明板が設置されている各所(内裏中心)へ🚲リンリン。

 

「源氏物語」説明板は、平成二十年に「源氏物語千年紀」を迎えるにあたり、市内40箇所に設置されました。

 

その前に

 

 

雲林院

 

ちょっと前までは、「雲林院」といえば『大鏡』菩提講。『源氏物語』で訪れる時が来るとはてへぺろ

 

光源氏は藤壺に冷たくされて、伯父にあたる桐壺更衣の兄律師の雲林院に籠った話があります「賢木」。

 

🚲🚲🚲リンリン

 

 

 

 

内裏図

 

 

 

清涼殿跡

 

清涼殿が天皇常住の御所となるのは、宇多天皇からになりますキョロキョロ。「桐壺」「紅葉賀」などで登場します。

 

 

 

弘徽殿跡

 

光源氏のライバル右大臣家・弘徽殿女御が住んだ後宮。でも、妹の朧月夜に手を出す光源氏の節操の無さにちょっと怒れてくるムキー

 

 

 

凝華舎(梅壺)跡・飛香舎(藤壺)跡

 

後宮七殿五舎の一つ

 

いくら亡母の面影があると言って、継母の藤壺女御に手を出したらアカンで。子供(後の冷泉帝)まで作るとはえーん

 

 

 

菊にゃん、言いたい放題ニャ😽

 

 

淑景舎(桐壺)跡 

 

光源氏の母・桐壺更衣が住んでいました。清涼殿から遠いから、向かう途中に他の女御更衣に意地悪されましたよショボーン

 

 

 

温明殿(内侍所)跡

 

五十を過ぎたエロ婆さん(今なら女盛りと申しましょうか)「源典侍」ラブの騒動の場所。このエロ婆さんのモデルは実在していて、なんと兄嫁びっくり

 

『源氏物語』に書かれたことで辞表を提出したとかガーン

 

恐い奴だよ紫式部チュー

 

 

 宣陽殿跡

 

累代の御物を納める納殿になります。

 

 

昭陽舎(梨壺)跡

 

『後撰和歌集』を編纂した五人は、梨壺の一部に置かれた和歌所から「梨壺の五人」と言いますウインク

 

 

 

承香殿跡

 

玉鬘と強引に結婚した鬚黒の妹が住んだ殿舎。

 

玉鬘と結婚したため鬚黒の正妻・北の方は怒って家出てしまいましたチュー

 

北の方とできた男子が太郎、次郎(南極物語か)。玉鬘の男子が三郎、四郎、五郎グラサン。長男を一郎としなかったんだねてへぺろ

 

子沢山だから、無理やりでも結婚生活は幸せだったのでしょう。惚れぬいた鬚黒に大事にされていて、良き妻、良き母となり、幸せな人生を送ります照れ。でも、子供の頃は九州で大変だったんだよショボーン

 

 

 

内裏跡(内郭回廊跡) 

 

この説明板は替えられていますね。以前は内裏内郭回廊跡となっています。

内裏内郭回廊は内裏図の承明門、宣陽門他を結ぶ郭回廊です。

 

内裏図を参考にしてください。

 

 

蔵人町屋跡

 

令外官・蔵人所とその関連施設跡。初代蔵人頭が藤原冬嗣。薬子が悪さばっかりやるからショボーン、嵯峨天皇が設置しましたムキー

 

光源氏の友人でライバルの頭中将は蔵人頭と近衛府の中将兼務だから、「頭中将」と言います照れ

 

 

 

紫宸殿跡

 

内裏の正殿

 

『源氏物語』では、東宮は紫宸殿、光源氏は清涼殿で元服儀が行われていて、差別化していますプンプン

 

 

 

内裏跡

 

内裏図を見てねてへぺろ

 

 

内裏南限と建礼門跡

 

内裏の正門です照れ

 

 

内裏東限と建春門跡

 

内裏図を見てねてへぺろ

 

 

当日の画像は以上。昨年『更級日記』で歩いた説明板といくつか被りましたが、内裏の説明板は全て撮ったはずです。

 

そこから🚲🚲🚲リンリン

 

 

京都御苑宮内庁京都事務所北

 

柏木の一条邸跡がこの辺り。

 

 

 

廬山寺

 

コメントはいいでしょうてへぺろ

 

 

京都市歴史資料館

 

菊ちゃんイチオシの花散里が桐壺帝亡き後、姉の麗景殿女御(桐壺帝女御)と共に住んでいた邸宅跡推定地。近くの梨木神社辺りとも言います。

 

空蟬もこの辺りだったはずキョロキョロ

 

 

 

京都御苑内富小路休憩所

 

明石から帰って来た光源氏。花散里邸へ向かう途中、荒れ果てた邸を見て、「誰の家だったかな?キョロキョロ

 

「あ~末摘花の家じゃんガーン

 

と、すっかり忘れられてた末摘花邸がこの辺りてへぺろ

 

とにかく、やたら面倒見が良い光源氏は末摘花の現状に同情して、二条東院に引き取り、ずっと面倒を見ていました照れ

 

こうして見ると、当時の中川辺りに住んでいた女性は、光源氏と男と女の関係はあったものの、後はプラトニックな関係になった女性(空蟬・花散里・末摘花)なんですね。