2021晩夏伊豆半島の旅~吉田松陰像(下田市)
伊豆半島の旅ブログ最終回です。
最終回は
吉田松陰
画像は下田市柿崎三島神社境内に建てられた吉田松陰像。
昭和十七年 賀茂郡教育委員会建立
保田龍門作
嘉永七年(1854)日米和親条約締結のため、ペリー提督は下田湾に入りました。
吉田松陰は金子重之輔とともに柿崎弁天島に潜み、夜になって小舟でポーハタン号に接近を試みます🚢。
吉田松陰史
読んでね
弁天島は当時は島でしたが、現在は防波堤によって陸続きになっていて車で島に直接入れます(駐車場有)。 楽なんですが、そのまま島へ来てしまったため、島全体を撮るのを忘れてしまいました。
ポーハタン号に乗船するもペリーは面会を拒否。松陰らは艦隊のボートで返されてしまいした。
乗ってきた小舟は?
実は彼らの荷物を乗せたまま流されて柿崎村に漂着してしまいます。
ここで普通ならさっさと下田を後にするのですが🏃🏃、松陰は柿崎村の名主に自首し🙇、江戸に投獄され長州に護送されます。
これが下田密航事件のあらましですが、松陰は盗んだ小舟の船主に迷惑をかけてしまうから自首したとも言いますね。
松陰は安政の大獄の詮議の際、聞かれてもいなのに間部詮勝暗殺を企てたことを話すし、宮部鼎蔵らとの東北旅行の時も約束を守るために通行手形の発行を待たずして脱藩したり・・
幕末において「まっこと正直な人物」でありました。
弁天島「吉田松陰・金子重輔先生踏海企ての跡」
読んでね
実は密航は一度失敗して二回目になります。
暑い中ボ~と下田湾を眺めていると
サスケハナ号や~
ペリーが江戸から下田に移動した時は、サスケハナ号、ポーハタン号他7隻の艦隊でした。
ちなみに画像のサスケハナ号は遊覧船です。
密航料1250円なり。
弁天島 「踏海の朝」と名付けられた吉田松陰・金子重輔像
松陰が指差す先は、ポーハタン号か、それともアメリカ合衆国か。
いや、日本の未来なのである。
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おしまい