2021京都 3月京都回想記~霊光殿天満宮 | 菊蔵の「旅は京都、さらなり」(旅と歴史ブログ)

2021京都 3月京都回想記~霊光殿天満宮

 新町通を下る途中、紅梅に引き寄せられ、久しぶりに参拝しました照れ

 

 

霊光殿天満宮


 

京都でも遅咲きの梅の一つと言います爆笑



拝殿


霊光殿天満宮


寛仁二年(1018)菅原道真の六世の孫・菅原定義(文章博士・大学頭)が、道真九州配流の途中の道真が立ち寄った河内国若江の旧跡に、創祀したのが始まりと伝える。その後、道真左遷の時に、天から一条の光が下ったという当地に移され、それ以来霊光殿と称するようになった。若江家が代々祠官として奉仕したが、応仁の乱で東寺に御神体を移した。江戸時代になって絶えていた若江家が再興されると塔之段の若江家に再遷、さらに宝暦十一年(1761)現在地に移転した。徳川家康が若江家再興に尽力したことから、寛永十三年(1636)当社に合祀されている。


参考 京都観光オフィシャルサイト 京都観光Navi  


注 上京区史蹟百選では、河内国若江の霊跡に菅原道真を祭神として鎮座し、この地は菅原道真左遷の時、一条の霊光が天から降ったことから霊光殿といわれたとします。




 

本殿覆屋・本殿



現在の社殿は、明治五年(1872)近衛家の旧鎮守社を移築されたものですウインク


徳川家康合祀の際、徳川家光が仙洞御所にあった家康像を当社に移し祭神としたと伝えるから、本殿内に家康像があるのかなキョロキョロ

 


五所稲荷大明神 


境内には菅原定義を祀った老松社があるそうで、こちらを老松社としているブログ等がありますが、どうなんでしょうキョロキョロ


菅原定義は『更級日記』の作者の兄にあたりますびっくり。日記には姉と違って少ししか登場しないから、忘れられがちですえーん。ちなみに、菅原孝標の女の母は『蜻蛉日記』の作者(藤原道綱の母)の妹(藤原倫寧の女)なんですねウインク



 

白梅

 

 

霊光殿菅公千年祭記念碑


撰書は富岡鉄斎。ご近所ですからねてへぺろ

 

 

この句碑は不明ショボーン



さて、蒙古来襲の際、後宇多天皇が霊光殿天満宮で祈祷を行い、元の船が沈んだことから贈られた「天下無敵必勝利運」の額を撮るのを後になって忘れていたのに気づきましたえーん


境内にいたら、着物姿のモデルさんラブ?とスタッフ一行が来まして、撮影準備を始めたから、お邪魔だと思って早々に退散したのが悔やまれますショボーン