古典文学と京都45~『宇治拾遺物語』より(住吉大伴神社) | 菊蔵の「旅は京都、さらなり」(旅と歴史ブログ)

古典文学と京都45~『宇治拾遺物語』より(住吉大伴神社)

『宇治拾遺物語』 伴大納言の事


 これも今は昔、伴大納言善男は佐渡国郡司が従者なり。かの国にて、善男夢に見るやう、西大寺と東大寺とを跨げて立ちたりと見て、妻の女にこの由を語る。妻の曰く、「そこの股こそ裂かれんずらめ」と合するに、善男驚きて、よしなき事を語りてけるかなと恐れ思ひて、主の郡司が家へ行き向かう所に、郡司きはめたる相人なりけるが、日比はさもせぬに、殊の外に饗応して、円座取り出で、向ひて召しのぼせれば、善男怪しみをなして、我をすかしのぼせて、妻のいひつるやうに、股など裂かんずるやらんと恐れ思ふ程に、郡司のさが曰く、「汝やんごとなき高相の夢み見てけり。それによしなき人に語りてけり。必ず大位にはいたるとも、事出で来て罪を蒙らんぞ」といふ。然る間、善男縁につきて、京上して、大納言にいたる。されども犯罪を蒙る。郡司が言葉に違はず。


『日本古典文学全集28 宇治拾遺物語』(校注・訳者 小林智昭 小学館 昭和四十八年)


今回は「伴大納言絵巻」で有名な伴善男が主人公の説話ですウインク


伴善男が西大寺と東大寺を跨いで立った夢を見て、それを妻に話したところ、股さきの夢だと夢判断をするので、つまらぬことを話してしまったと後悔して、郡司の家に出掛けていきます。郡司は高貴な夢を見たのに、それを妻に話してしまったため、将来高位に昇っても、事件が起きて罪をこうむるようになると言います。郡司が話したように大納言まで昇った善男ですが、郡司の言ったとおり、罪(応天門放火事件)によって、伊豆に配流されてしまったという話。


伴善男の出生には謎が多く『公卿補任』では伴国通の五男とされていますが、『江談抄』では佐渡の百姓の子、『古事談二』では郡司の従者だったとも云われています。


私のブログでは橘逸勢に次いで登場回数が多いですね爆笑


嫌な奴っちゃで~と言いながら、どこか憎めない伴(バン)ちゃんです




頭脳は優秀で、政務にも長けていましたが、性格が悪くて、人と打ち解けることがなかったといいますねショボーン。こんな性格が災いして、応天門の変では主犯とされてしまいましたえーん


応天門の変により摂政となった藤原良房が事件に関与していたか不明ですが、最大限に利用したことは間違いありませんチュー。冤罪であったかどうかもはっきりとしませんが、『今昔物語』で疫神として登場していることから、説話とはいえ、少なくとも冤罪と認識されていたと思いますキョロキョロ


ただ、この疫神を説明するときには、一風変わった疫神で、都に疫病が流行った時に、何故か板前の前に出てきて、ほんとはもっと凄いことになるけど、これぐらいで勘弁してやるわ~と何とも他の怨霊とは違うと話しますてへぺろ


やっぱり性格かなとグラサン



さて、伴氏ゆかりの神社が京都市内にあります。画像クイズで出題したいけど、論考社ということと、当日が祭典だったため、画像が使いにくいことから出題は控えています。


 

 住吉大伴神社


画像はきぬかけの路沿いにある鳥居。


仁和寺の西になります。

 

 

 十禅師社

 

 

南鳥居


当日は例祭日。



出番待ちの御神輿。


そして伴善男とのゆかりは




こちらを読んでください
爆笑

さすがに2回同じ内容は避けたいところです。

内容もまぁまぁ充実していると思っています照れ