京都2020秋⑧~南禅寺塔頭 駒ヶ瀧 最勝院高徳庵
南禅寺境内にある石碑
駒ヶ瀧最勝院とあります。
この地には、古くは三井寺の別院・最勝光院があり、衰退後、文永元年(1264)亀山天皇が離宮禅林寺殿を造営。ところが、最勝光院に住んでいた死霊が出没。悩まされた天皇は、東福寺三世の無関普門を招いて祈祷させ退散。それにより無関普門に帰依した天皇が正応四年(1291)無関普門を開山として禅刹に改めたのが南禅寺の始まりとされます。
南禅寺開創の経緯を知っていただけに昔はその関係の石碑かなと思ったものですが、その後、考え違いをしていることに気づきました。
というか、石碑だから(光がないけど)最勝光院がこの地にあったと思ってしまいますよ。
塔頭寺院の最勝院と知ったのは10年ぐらい前のあるサイトの京都画像クイズだったと記憶しています。
南禅寺塔頭最勝院へは、水路閣の南側から東へ向かいます。
琵琶湖疏水
水路閣沿いの緩やかな坂を登ります。
水路閣が道と平行になる、ある意味貴重な場所なんですが、誰もここまで来ません。
疏水は哲学の道へと続きます。最勝院はそのすぐ横にあります。
駒ヶ瀧 最勝院
この辺りは霊験あらたかな神仙佳境の地と呼ばれていたそうです。画像からでもそれが伝わります。
由来
長いので簡単に説明すると、天台密教の駒道智大僧正(九条道家の子)がこの地に隠棲したのが始まりですが、創建等は不詳。亀山天皇がこの地に離宮を営んだ際、僧正を鎮守として祀り、離宮を禅寺にする時に護法神として篤く信仰されたと云います。なお、亀山天皇を悩ませた死霊は駒道智大僧正とも云われます。
元々南禅寺境内寺務所の地にありましたが、大正四年(1915)現在地に移ったと云います。
駒ヶ瀧最勝院もしくは最勝院高徳庵と呼ばれます。南禅寺のホームページには高徳庵とあります。
端正な参道に心を洗われます。
本堂前の松は、「縁結びの松」と呼ばれ、百日紅の木の割れ目に松の種が落ちて、そのまま成長した珍しい松。
松と百日紅が一体化していることからの呼び名です。