京都画像クイズNo.25の答え
京都画像クイズNo.25に多くの解答をお寄せいただき、ありがとうございます
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![照れ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/007.png)
今回の問題は京都検定を受けられた方は3枚の画像で正解が浮かんだと思います。
特にヒント画像にした
松平定信![爆笑](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/001.png)
![爆笑](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/001.png)
1番目の画像(法雲院)で分からなくても、御所の画像と松平定信で分かったかなと思います。
以下京都検定公式テキストから
「天明八年(1788)の大火後、いちはやく幕府は老中松平定信に内裏造営を命じた。この時の工事は寛政元年(1789)から翌二年にかけて行われたが、定信は、当時の著名な有職故実家裏松固禅(光世)が作成した『大内裏図考証』に基づき、古制にならって復元した」
正解は、裏松固禅(光世)でした。
解答を寄せられた皆さん、全員正解でした
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![爆笑](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/001.png)
1番目の画像は法雲院。
龍臥山 法雲院
法雲院
右京区太秦蜂岡町にある臨済宗永源寺派の寺。龍臥山と号す。本尊千手観音。寛文元年(1661)烏丸資慶が永源寺住職如雪の委託をうけて創建。勧請開山は永源寺中興一絲文守。資慶の祖父光広を改葬し、寺名を光広の法号から法雲院と定め烏丸家の菩提寺とした。ほかに「大内裏図考証」を著わした裏松固禅らの裏松家の墓、勘解由小路家の墓などがある。
観光寺ではないから、こちらが裏松家の菩提寺と知っていた人は少ないかな
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![キョロキョロ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/016.png)
因みに、固禅は烏丸家から裏松家に養子に出ています
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![びっくり](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/014.png)
京都検定を受けられた方は定番中の定番だから、答えは画像のみで出たはず
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![ウインク](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/004.png)
ただ、これから受けられる人は(2・3級限定)、引っかけ問題には注意です
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![キョロキョロ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/016.png)
テキストにはさらに、「この時の殿舎は安政元年(1854)に焼けるが、翌二年、幕府は先の寛政度にならって再興した」とあります。「現在の御所」は安政期の再興ですから、寛政期を選ぶと間違いになります
。この時は必ず「現在の御所」とあるはずですから、慌てず選んで下さい
(第四回の2級で出題されたと記憶していますが、今後3級で出題されるかも。また、間違い探し問題で「現在の御所」は寛政年間で引っかけにくるかも)。
![ショボーン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/017.png)
![ウインク](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/004.png)
最近の1級は、私が合格した時より格段にレベルが上がっているので、裏松固禅から、答えが「宝暦事件」になる問題が出題さるるかもしれません
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![えーん](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/018.png)
参考文献
『京都大事典』(佐和隆研・奈良本辰也・吉田光邦ほか 淡交社 昭和五十九年)
『増補版 京都・観光文化検定試験公式テキストブック』(監修 森谷尅久 淡交社 2010年初版)