伊豆の踊子 川端康成一行を追って/堂ヶ島 | 菊蔵の「旅は京都、さらなり」(旅と歴史ブログ)

伊豆の踊子 川端康成一行を追って/堂ヶ島

今回の伊豆の旅は、wakho1946様がご指摘されたように、『伊豆の踊子』そして川端康成の旅でしたニコニコ

 
京都本と歴史資料が大半を占める本棚に純文学はごく少数。文学批評をする資格はないし、できませんショボーン
 
それでも思い立った理由は、『伊豆の踊子』は川端康成が大正七年(1918)伊豆を初めて訪れ、旅芸人の一座と道ずれになった経験を元に書かれているに他なりませんニヤリ
 
大正七年は世界的に大流行したスペイン風邪によって日本でも多くの死者を出した年ショボーン
 
文中にも「私」が船で東京へ帰るとき、「流行性感冒」で倅と嫁を亡くしたお婆さんの世話を頼まれていますびっくり
 

 
私はそれまでに踊子たちを二度と見ているのだった。最初は私が湯ヶ島へ来る途中、修善寺へ行く彼女たちと湯川橋の近くで出会った。
 
川端康成をはじめ多くの文豪に愛された修善寺新井旅館照れ
 

 
それから、湯ヶ島の二日目の夜、宿屋へ流して来た。踊子が玄関の板敷で踊るのを、私は梯子段の中途に腰を下して一心に見ていた。
 
湯ヶ島浄蓮の滝の像ニコニコ
 

 
浄蓮の滝
 

 
わさび田
 

 
道がつづら折になって、いよいよ天城峠に近づいたと思う頃、雨脚が杉の密林を白く染めながら、すさまじい早さで麓から私を追ってきた。
 
すさまじい早さで追ってきたら。通行止めでしたよえーん

晴れてて良かった爆笑
 
 

 
踊子に早く追いつきたいものだから、婆さんのよろよろした足取りが迷惑でもあった。とうとう峠のトンネルまで来てしまった口笛
 
旧天城トンネル
 

 
トンネルの出口から白塗りの柵に片側を縫われた峠道が稲妻のように流れていた。
 
残念ながら、トンネルを出たらその先は車はもちろん、人も通行止めになっており、稲妻のような峠道を撮ることはできませんでしたショボーン
 

 
湯ヶ野まで河津川の渓谷に沿うて三里余りの下りだった。
 
河津七滝・初景滝のブロンズ像ニコニコ
 
 

 
ループ橋
 
この先、一行は河津湯ヶ野温泉から下田へ行っていますが、私は松崎から堂ヶ島ウインク
 

 
亀岩
 
下から這って上がりました。
 

 
三四郎島
 
トロンボ現象によって干潮時には対岸との間に道ができます。
 
モンサンミッシェルや爆笑
 

 
天窓洞
 
加山雄三ミュージアムには行ってませんチュー