伊豆の踊子 川端康成一行を追って/堂ヶ島
今回の伊豆の旅は、wakho1946様がご指摘されたように、『伊豆の踊子』そして川端康成の旅でした。
京都本と歴史資料が大半を占める本棚に純文学はごく少数。文学批評をする資格はないし、できません。
それでも思い立った理由は、『伊豆の踊子』は川端康成が大正七年(1918)伊豆を初めて訪れ、旅芸人の一座と道ずれになった経験を元に書かれているに他なりません。
大正七年は世界的に大流行したスペイン風邪によって日本でも多くの死者を出した年。
文中にも「私」が船で東京へ帰るとき、「流行性感冒」で倅と嫁を亡くしたお婆さんの世話を頼まれています。
私はそれまでに踊子たちを二度と見ているのだった。最初は私が湯ヶ島へ来る途中、修善寺へ行く彼女たちと湯川橋の近くで出会った。
川端康成をはじめ多くの文豪に愛された修善寺新井旅館。
トンネルの出口から白塗りの柵に片側を縫われた峠道が稲妻のように流れていた。
残念ながら、トンネルを出たらその先は車はもちろん、人も通行止めになっており、稲妻のような峠道を撮ることはできませんでした。
ループ橋
この先、一行は河津湯ヶ野温泉から下田へ行っていますが、私は松崎から堂ヶ島。
三四郎島
トロンボ現象によって干潮時には対岸との間に道ができます。
モンサンミッシェルや
天窓洞
加山雄三ミュージアムには行ってません。