2020京都冬の旅③~京都市考古資料館/堀川/伊藤仁斎邸古義堂/大極殿阯/京都アスニー)
前回最後の画像は白峯神宮の潜龍社にある笑い龍でした。
ririgagaさん正解です。
蹴鞠・和歌の宗家飛鳥井家の邸にして蹴鞠の神様・精大明神も祀られているとあって、蹴鞠の練習に余念がありません。
白峯神宮についてはシリーズ最後に安井金比羅宮等とアップするので、参拝した時の感想だけ。
中国人観光客が京都から消えても、ここは関係ないね。
元々ボールゲームのご利益から、部活関係の学生さんが参拝に訪れていましたが、蹴鞠は鞠を落とさないことから、受験生も多くなり、修学旅行生御用達の地位を確立したことがその理由かな。
その後訪れた所は
京都市考古資料館
『小右記』、『左経記』、『宇治拾遺物語』、『帝王編年記』等から、姉小路猪熊にあった橘逸勢霊神社がいつ、誰によって、何故創祀されたかの私の考察を考古学からご教授願えればと訪れました。
話の内容は、さすがにここでは書けませんが(ブログの最後に一言だけ仰られていたことを書きます)、今後の研究の参考になるであろう幾つかの文献を教えていただきました。
それから京都アスニーへ堀川通から向かう。
堀川第一橋(中立売橋)
いつも下を通るから擬宝珠や欄干の画像はありません。。以前ブログで橋や市電堀川線の話をアップしているので今回は画像のみで。
伊藤仁斎邸(古義堂)跡ならびに書庫
京都市駒札
伊藤仁斎は寛永四年(1627)材木商の家に生まれ、荻生徂徠と並ぶ古学派の大儒となり、生家で開いた家塾が古義堂になります。
古義とは朱子学の解釈によらず孔子や孟子の教えに戻って道義を明らかにする学問のこと。
参考文献
『新版 京都府の歴史散歩上』(山本四郎 山川出版社 1995年)
伊藤仁斎の研究者は何人か知人にいるので書くとしたこれぐらいかな。
近くに山崎闇斎邸があるのも興味深ければ、丸太町、今出川、堀川、烏丸の通に囲まれた一帯は、富岡鉄斎宅や皆川淇園弘道館があるから、日本を代表する儒学の聖地と言ってもいいくらいです。
それから丸太町通に出て西へノコノコ歩きながらちょっと寄り道。
それでは、京都市考古資料館で貴族の日記を時系列に並べた研究ノートと、宇治拾遺物語の説話を例に説明後に言われた一言。
科学やな