秋の宇治をゆく⑧~橋姫神社/夢浮橋/宇治橋
縣神社西鳥居からあがた通を北へ歩くと小さな神社があります。
橋姫神社
橋姫神社
宇治市宇治蓮華にある小祠。瀬織津姫・住吉明神を祀る。瀬織津姫はもと宇治橋三ノ間の張出し部分に祀られ、宇治橋の守護神として橋姫と呼ばれた。近世に宇治橋西詰北側に移り、さらに明治三年洪水で流失し現在地に移転。宇治の橋姫は平安期以来「古今集」をはじめ数々の歌に詠まれ、「源氏物語」にもみえる。橋姫伝説はのちにさまざまに変化し、「源平盛衰記」では宇治の橋姫を嫉妬の神とし、妬ましい男女を呪い殺す話を記す。これにちなんで橋姫は縁切りの神とされ、悪縁を切る効験で知られる。
『京都大事典』(佐和隆研・奈良本辰也・吉田光邦ほか 淡交社 昭和五十九年)
左側に瀬織津姫、右側に住吉明神が祀られています。
境内は狭いのですが、『源氏物語』宇治十帖第一帖「橋姫」ゆかりの神社、また『京都大事典』にある「嫉妬の神」、「鬼女」の伝承から、駒札と説明板が所狭しとあります。
何故か原発までの距離を示す駒札までありました。
『源氏物語』宇治十帖「橋姫」について書かれた(財)宇治市文化財愛護協会の駒札。
『源氏物語』では、八宮の娘(大君、中君)と橋姫を関連付けており、『京都大事典』にある「嫉妬の神」「鬼女」の関わりはありません。では何故そのような伝承が成立したのでしょうか。
短時間では調べることに限界があるので結論から申しますと、元々橋姫は八宮の娘達のように都から離れていても可憐で清楚なイメージがあったのに、貴船の神の神託から宇治川に浸かって生きながら鬼になり、その後渡辺綱と坂田金時に退治され、安倍晴明によって祀られた橋姫は、実は『源氏物語』の宇治十帖が発端ではないかと以前から思っています。
特に男に翻弄された浮舟の宇治川入水かな。
以前ブログでアップした
鉄輪の伝説も『源氏物語』の影響があるといいますから、浮舟は亡くなったわけではありませんが、後世の人が物語の浮舟を憐れんで創作したのではないかと「個人的に」思っています。
特に匂宮、お前だ!。
菊ちゃんは源氏物語ミュージアムの貴方は源氏物語の誰?という心理テストで薫君だったから、中君がいながら浮舟に手をつけた匂宮が嫌いだ。
前回もご紹介した縣神社大鳥居。ここから縣神社の参道になります。
夢浮橋の碑
駒札
読んでね。
京都検定受検者は、とりあえず『源氏物語』宇治十帖の「橋姫」から「夢浮橋」まで全て暗記しなくてはならないから大変なんだな。忘れちゃたなぁ。
紫式部像
宇治橋
宇治橋から朝霧橋(左)と橘橋(右)。
三の間
以前はこちらに橋姫が祀られていました。豊臣秀吉が茶の湯を汲ませた話から、現在でも茶まつり際は「名水汲上の儀」が行われます。
今回のブログは当初、与謝野晶子訳『源氏物語 下』やら、いくつかの京都の魔界本から抜粋して仕上げていたところ、アメブロフリーズを喰らいまして(涙)、橋姫伝説については中途半端な内容になってしまいました。
残念。
宇治ブログはこれにて修了。次回は宇治から移動して拝観した東福寺塔頭寺院です。