京都 菊蔵ガイドをする③~寺町通から祇園。そして建仁寺塔頭 霊源院 | 菊蔵の「旅は京都、さらなり」(旅と歴史ブログ)

京都 菊蔵ガイドをする③~寺町通から祇園。そして建仁寺塔頭 霊源院

 
昼食後、京都御苑今出川御門から御苑内を散策。
 
ガイドしてますから、全然画像はありません
 
 
慈照院で聞いた旧桂宮邸が左で、右が旧近衛邸と話をしたら、御所朔平門近くは、葵祭や時代祭の時に観光バスの駐車場になると教わる。
 
それは知らんかったわ。
 
で、幕末に猿ヶ辻で姉小路公知が襲われたのがここでぇ・・と幕末には多少知識があったようなので・・・ちょっと意地悪をする。
 
「当時の猿ヶ辻はもっと奥に入ったところでここじゃない」と幕末への想いを破壊する。ついでに蛤御門も今より奥で南向きだったとダメを押す。
 
ふ~ん
 
それだけかい。
 
それから清和御門から寺町通に出て、新島旧邸の説明したりして
 

 
 
下御霊神社
 
語るで~
 
祭神は、早良親王、伊予親王、藤原吉子
 
もういい、全く分からん
 
上御霊神社との祭神の違いから、何故祀られるようになったのか・・・何も話せなかった。
 
それより梅が綺麗だ
 

 
八重の紅梅
 
梅の隠れ名所だからね。
 
ところで、本殿修理の寄付募ってるけど寄付しないの?
 
ずっと前にしたわ。
 
寺町二条から木屋町通
 
 
 
善導寺
 
 
有名な善導寺型灯籠
 
だけど、本当の善導寺型灯籠はこれではない。
 
アポ無しだったから境内のみ。クルミちゃん(愛犬)に会いたかった。
 
 
高瀬川一之船入
 
島津創業記念館は工事中でしたね。
 
木屋町三条から三条大橋を渡る。
 
 
誰これ?
 
上州新田の高山彦九郎
 
土下座ちがうで、御所に向かって望拝してる姿。
 
漫画『風雲児たち』の知識しかないが、あの漫画は恐ろしく調べてあるから、とりあえず思い出しながら話をする。
 
縄手通から白川南通
 
 
吉井勇の歌碑
 
かにかくに
 
祇園はこひし寝るときも
 
枕の下を水のながるる
 
 
 
 
ここで鋭い質問が来る
 
 
鴨川もそうだけど、高瀬川も白川も水が透き通っているね。なんで街中でこんな水が綺麗なの?。
 
 
下水道が完備されてて生活排水が流れないのと、上流に大きな工場がないからじゃね?。
 
頭に浮かんだのはこれだけ。
 
 
巽橋から
 
琵琶湖疏水と合流する辺りはそれほど綺麗と思わないが、疏水と分かれてからは綺麗だなと改めて思った。
 
白川と琵琶湖疏水(分線)について、銀閣寺前ではサイフォン式だのマニアックな話もしたが、聞いていないようだった。
 
巽橋から切り通しを経て四条通から祇園花見小路。
 
馴れたから何とも思わないが、さすがに日本語はうちら二人しか喋っていないことに気づいたようだ。
 
 
そんなこんなで、冬の旅非公開文化財特別公開寺院に到着。
 
 
 
建仁寺塔頭寺院 霊源院
 
いつもは素通りするだけの霊源院。もちろん初拝観になります。
 
霊源院
 
応永年間(1394~1428)、龍山徳見和尚を勧請開山として、その弟子・一庵一麟が創建した建仁寺の塔頭寺院。鎌倉末期から室町時代にかけて禅宗寺院で栄えた漢文学「五山文学」の、最高峰の寺院の一つとされ、「建仁寺の学問面」の中核を担った。五山派の代表的学僧を多く輩出しているが、中でも詩名高い慕哲龍攀は、幼い頃の一休宗純に漢詩を教えたことで知られている。
 
『第53回「京の冬の旅」非公開文化財特別公開ガイドブック』(公益社団法人 京都市観光協会)
 
静岡県人的に言えば、今川義元が出家(後に還俗)したお寺ですから、拝観しないわけにはいきません。
 
何て書いてあるか分かりませんが、今川義元の書状、慶派仏師(ガイドさんは湛慶と言ってたかな)の毘沙門天像、茶室・妙喜庵、枯山水庭園・甘露庭、狩野山楽筆・布袋像を観賞。
 
書状や毘沙門天像は分かりますが、庭園は硝子越しになるので写せませんでした。
 
ん~何とも感想が浮かばない。
 
ただ、ご住職の説法は、(話が上手いと評判だけあって)良かったです。