京都 衣笠山麓散策 4~龍安寺七陵 | 菊蔵の「旅は京都、さらなり」(旅と歴史ブログ)

京都 衣笠山麓散策 4~龍安寺七陵

 

 

 仁和寺の特別拝観を終え、きぬかけの路を龍安寺へ向かってテクテク歩く。 

 

 

 龍安寺では寺務所をお訪ねして資料をいただきました(寺務所は石段を上った右側奥)。ありがとうございます。

 

資料については、発表・論文等で使用の場合は龍安寺へ一報することとお約束したため、ブログで内容は公開しませんが、新発見!というものではなく、素材の一部とでも言っておきましょうか。

 

寺務所訪問後、龍安寺北側にある龍安寺七陵の一部を参拝。

 

 

京福電鉄北野線・龍安寺駅から龍安寺へ向かう途中にある石標。

 

龍安寺七陵

 

龍安寺後方の朱山ある七つの天皇・皇后陵。朱山七陵ともいう。後三条天皇(円宗寺)陵・後冷泉(円教寺)天皇・後朱雀天皇(円乗寺)陵・禎子内親王陵・一条天皇(円融寺北)陵・堀河天皇(円教寺)陵・円融天皇火葬所の七陵。

 

 

 

今回は麓にある四陵を参拝しました。

 

 

 

 禎子内親王陵

 

 

天皇陵にそれぞれ円がつく寺は、平安時代中期、仁和寺から双ヶ丘東麓にかけて営まれた四つの御願寺・四円寺のことです。

 

四円寺

 

寺名にそれぞれ円の字を冠する四つ御願寺を総称して四円寺という。

 

永観元年(983)円融天皇御願の円融寺、長徳四年(998)一条天皇御願の円教寺、天喜三年(1055)後朱雀天皇御願の円乗寺、延久二年(1070)後三条天皇御願の円宗寺の四寺。仁和四年(888)宇多天皇が建立した仁和寺と同様に天皇の後院の性格をもち、また仁和寺の院家として建立され、のちの六勝寺や鳥羽殿内の諸院の先例となる。

 

因みに、龍安寺の前身は徳大寺家山荘(山荘内・徳大寺)で、その前身が円融寺になります。

 

 

後冷泉天皇陵

 

 

後三条天皇陵

 

 

 後朱雀天皇陵

 

朱山をもう15分ほど登ると三天皇の御陵がありますが、時間の関係で麓の陵のみ参拝しました。

 

ちょうど龍安寺方丈の真北に当たりまして、静かなはずの龍安寺から大きな声が聞こえてきましたよ。

 

そういえば、駐車場に団体バスが慰安旅行かなにかで数台来てまして、皆さんヨイヨイで降りてきましたな。

 

おそらく、方丈北側に回ったためそれまでの沈黙が爆発したと思います。


それでも(お酒を呑むなとは言わないが)場所を考えてほしいものです。

 

 

 

参考文献

 

『京都大事典』(佐和研隆・奈良本辰也・吉田光邦ほか 淡交社 昭和五十九年)