古典文学と京都23~発心集より(六波羅蜜寺) | 菊蔵の「旅は京都、さらなり」(旅と歴史ブログ)

古典文学と京都23~発心集より(六波羅蜜寺)

『発心集』第一の八 「佐国、華を愛し、蝶となる事 付 六波羅寺幸仙、橘木を愛する事」より抜粋

 
又、六波羅寺の住僧幸仙と云ひける者は、年来道心深かりけるが、橘の木を愛し、いささか彼の執心によりて、くちはなと成って、彼の木の下にぞ住みける。委くは伝にあり。
 
かやうに人に知らるるはまれなり。すべて、念々の妄執、一々に悪身を受くる事は、はたして疑ひなし。実に、恐れても
恐るべき事なり。
 
また、六波羅蜜寺の住僧・幸仙という者は、長年道心が深かったが、橘の木を愛して、執着してしまったために、死後蛇となって、その木の下に住んだということである。くわしくは、往生伝に載っている。
 
このように、輪廻転生が人に知られるのは稀なことである。一瞬一瞬におこる執着心が、(来世で受ける)人間以外のものに生まれ変わることは疑いのないことである。ほんとうに、どんなに恐れてももっと恐れるべきことである。
 
 
新潮日本古典集成『方丈記 発心集』(校注 三木 紀人 新潮社 昭和五十一年)
 
『発心集』は、方丈記の作者・鴨長明が編著した仏教説話集。本文は第一の八『佐国、華を愛し、蝶となる事六波羅寺幸仙、橘木を愛すること』から付を抜粋しました。執着はほどほどにしなければなりませんね。

今回『発心集』を取り上げたのは、前回の『更級日記』と少し関連していて、猫が藤原行成の娘の生まれ変わりなら・・・・何に執着していたか気がかりです。猫に生まれ変わったのですから、鰹節とか、鰹節とか、鰹節とか・・・・・・・・
 
 
 文中の六波羅寺は、六波羅蜜寺になります。

 
 補陀洛山 六波羅蜜寺

真言宗智山派寺院。ご本尊は十一面観音。応和三年(963)空也上人が建てた西光寺が始まりで、貞元二年(977)に中信が入寺し、六波羅蜜寺となります。当初は天台宗の別院でしたが、文禄四年(1595)真言宗となります。

参考文献
『改訂版京都・観光文化検定試験公式テキストブック』(京都商工会議所 淡交社 2005年)

本堂前が狭くて本堂は毎回上手く撮れません。

 
 
六波羅蜜寺といえば、都七福神めの弁財天と宝物館の空也上人像や平清盛像は必見です。個人的には12月の空也踊躍念仏にも2回ほど参加しています。

 
阿弥陀如来石像と本堂解体修理中に発掘された多くのお地蔵様。


平清盛の墓と阿古屋塚 

散策も含めてけっこう参拝しているので画像を確認したら、昔は屋根は無かったですね。
 
 
本堂は、見た目よりずーと古く、貞治二年(1363)の再建。八坂の塔(永享十二年・1440)ですから、それよりも古い建造物になります。

参考
六波羅蜜寺ホームページ寺史より
 
 
せっかく清めた小銭を次の拝観料にしたり、お賽銭にしたり、公共交通機関で使ってしまうため一向にご利益のない銭洗い弁財天様。

次は使いませんから、お願いします。

おっーと、あまり執着すると次はカネゴンに生まれ変わるから、ほどほどにしよう。

知ってる人は知っているカネゴン

画像はあるけど、著作権に引っ掛かりそうなので、知らない人はカネゴンで検索して下さい。